沿線点描

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北総線よもやま話1901

2019年1月の北総線よもやま話。このよもやま話は将来的に四季報として纏めていく前段階の落書きコーナー。

冬の逆線走行号はしる

無遮断,それは時に関係者を凍らせるコワ~イ言葉なのだそう。

思わず凍ってしまうような日には凍結防止列車。センター試験を過ぎると急に寒くなり,そんな列車が終車後に走る季節がやってくる。冬だね~。

はてさて,凍結防止列車にも逆線走行号はあるのだけど,今回逆走したのは凍結防止列車でも保守用車でもなく,ちょっとフシギな試運転。

試運転があったのは26日終車後のこと。高砂~北国分間を線路閉鎖した上で,S91を名乗るAE形がこの区間を走行したのだ。

△なにがめずらしいのかよくわからない画像

行路としては,高砂3Tから北総下り線に進路をとって栗山トンネルまで走行。矢切の渡り線は使わず,そのまま下り線を上って高砂高架橋上の下り5T付近まで走行。栗山トンネル内の折返し地点は不明ながら,栗山トンネルと高砂高架橋の間を2往復ほど走ったみたい。その後,下り線を逆走して高砂まで上ってきて,2T返しで今度は北総上り線を逆走して栗山トンネルへ。ふたたび栗山トンネルと高砂高架橋を2~3往復して高砂に戻って終了,という感じ。北国分まで線閉を取っているということは,おそらく矢切を越えてやや日医大方まで行っているのかも?

かなり穿った見方ではあるけど,旅客車が高砂~北国分間を単線走行だなんて,北総の経営状況がやばたにえんだった1980年代に検討された同区間の単線開業案を感じるものがあるよね。

走行区間から察することができるように,目的は新柴又付近の騒音測定のよう。しばらく走るみたいだけど,撮る場所も見る場所もほとんどないので,具体的な内容に踏み込むのは難しいかな。それに車両や乗務員を見ればわかるように,実施者に京成が絡んでいる…というより京成が主体で動いているというのもいまいちよくわからんち。

いちおう,高砂に一旦戻ってくるタイミングで唯一逆線走行らしい光景が見られるのでちょっくら出撃。

△スカイライナー北国分ゆき(なぞ)

大方の予想通り,高砂2Tから上り線に進路をとって下ると踏切動作が意図しない形になりましたよっと。

分岐駅かつ車庫所在駅という膨大な進路をもつ連動駅構内なので,高砂の踏切制御回路がいったいどういう組み方になっているのかは正直よく分かっていない。京成なら連続閉電路方式としてAFOを重畳していると見ていいだろうけど,ここでそれを検証することはできない。

いずれにせよ信号通信の一般論からすれば,踏切の制御回路というのはとれる進路を前提として列車検知装置を配置するのであって,あからさまにヘンな動きをすれば意図しない動作が起きてもなんらフシギではない。

今回の高砂構内における進路とは,高砂3T→北総下り線,北総下り線→高砂2T,高砂2T→北総上り線,北総上り線→高砂2Tの4ルート。転轍機や閉塞などルートの詳細は会員向けの常置信号機入り配線略図を参照されたさ。

この進路には高砂1号と2号の2つの踏切が存在するのだけど,入換車両の進路があるおかげで1号は4ルートともほぼ正常に動作する可能性が高い。また,2号においても,1番目と4番目は定期列車でも存在するように「とれる進路」であって,フツーに動作するのは言うまでもなかろう。

明らかに逆走している2番目と3番目における2号の動作がミソとなるのだけど,2番目は現場を見損なったので又聞きではあるけど動作したらしい。北総下り線は高架の立上り直前で検車区G線への渡り線と40ロハで交差しているのだけど,この箇所の軌道回路40Tのおかげかもしれないし,そうじゃないかもしれない。

3番目,つまり上り線逆走時の2号の動作はまさしく意図しないものとなった。

この国における踏切の動作は技術基準省令で細かく決まっていて,その中には警報が鳴動開始してから遮断機が降下完了するまでの時間だとか,そういったものが標準時間として決められているのね。これに沿って設備をつけると,踏切装置の始動位置と踏切道の距離は長くとられ,逆に踏切装置の終止位置と踏切道の距離は短くとられるのが一般的な設計になってくる。

ところが,今回のような進路で走ると始動位置と終止位置が入れ替わってしまう。本来の終止位置で鳴動開始するので,遮断完了を待たずに列車が踏切道を通過。列車が抜けるころにようやく遮断機が下りて,それでも本来の始動位置を抜けるまでは延々と下りたまま…。

△見切れてるけど列車進行方向指示器は右矢印が点灯している…が,進行方向は左向き

もちろんこれは想定の範囲内ということで,信通職員によるロープ張りであったり,警備員の配置であったりとバックアップはしていたのだけど,冬の厳しい寒さ以上に無遮断事故が心を震わせる夜でしたとさ。

大町・松飛台に新発車標

そんなAE形を横目に個人的な1月のトピックはぶっちぎりでこれ。5年ぶりの発車標更新再開,それが大町っていうんだもの。

△5年間つかなかった予算がついに大町に!

北総線における発車標の位置付けは会員向けのページで紹介しているのだけど,掻い摘んで改めてこれまでの経緯をおさらいしてみよう。

発車標のような高度な機器の運用には,運行管理システムの存在が不可欠といっていい。

北総線の場合は1期開業時から運行管理システムを導入していたのだけど,発車標が運用されるようになったのは1990年度の2期開業時からだったのね。これは2期開業にあわせて運行管理システムを一新し,HTCという電力・運行管理システムの運用が始まったからなのだ。

で,2007年度にHTCをアクセス線対応の新システムに改修した際に,発車標もHTCと同じ日信製の装置に更新し始めた。それが今の新発車標ってわけ。

旧発車標はこの時点で置換えを前提に運用していた。例えば2009年度末に下り方面の筐体に成田空港の文言を入れた際には,新発車標は文字を全て貼り替えたのに対して,旧発車標は「印旛日本医大方面」の文字の上からシールを貼っている。

このあたりの対応は,2004年度の北総開発鉄道からの社名改称時に車両側面の社名板を取り替えずにシールで対応した7000形と新たにアルミエッチングプレートを発注した7300形の例に通じるところがあるだろう。

それでも発車標の更新は急務といった優先度ではなく,ペースは年によってまちまちだった。

初年度となる2007年度には東松戸,新鎌ヶ谷,小室,日医大の4駅を更新しているが,駅単位での更新はその後2010年度の白井まで行われなかった。なんとか13年度までに10駅を更新し,旧発車標は新柴又,松飛台,大町,印西牧の原の4駅を残すのみまで減少。いよいよ淘汰か…と思ったら,14年度から音沙汰なく5年が経過…。

で,忘れ去られていたら今18年度に大町と松飛台が更新されたという流れ。もちろんその間に旭光の簡易表示器が稼働開始したとか,近いところで動きはあったものの,それとは価格も規模も桁違いの発車標が動き始めたのだから書かずにはいられないよね~。

という個人のど~でもいい所感はさておき,新発車標について掘り下げてみると中々に面白い。

まず見た目としては,2012年度導入の矢切のように筐体に番線の表記が入っている。矢切を除いて番線表記は入っていないのだが,ここにきて番線入りとなった。番線表記のみならず,英字など他の文字の割付も従来と若干異なっているのも注目したいかな。

△新しいLEDユニットの表示はずいぶんくっきりしている

LEDの発色も今までとはやや異なる。発色が全体に明るい印象であるし,非点灯のLEDも今までより明瞭に粒が見える。よく見てみると,使用しているLEDが砲弾からチップに変更されているようだ。ここでも書いた通り,鉄道製品に使用されるような国産の砲弾型LEDは生産が縮小しているようで,これまでの機種で使用してきた部品が生産中止もしくはそれに類する状況で代替された可能性が高い。

△参考までに2013年度導入の北国分(FD4371G)のユニット。

当然,LEDに文字を出すコントローラも新しくなっている。その証拠に,表示をリフレッシュするタイミングが変わっていて,カメラで撮影すると従来は1/320以下でないと文字全体が映らなかったものが,今回は1/800以下で映るようになった。

表示される文字そのものは従来と全く同じで,漢字ROM…LSIに入っている文字データはこれまでと同じみたい。印象が異なるのは,上に書いたようにLEDの粒が丸から四角になったからだろね。

そんな感じで使用部品が変われば日信の型番も変わる。これまで最新だった13年度導入の発車標(1ホーム用両面時計付)はFD4371Gを名乗っていたが,今回はFD4371Rとサフィックスが変わっている。
銘板の意匠も変わっていて,これまではアルミ地を活かした印刷銘板だったものが,今回は黒地の彫刻銘板となり,打刻される内容も定格電圧などが減ったりしている。

△印刷銘板の時には円の中に打刻されていなかったQSマークの姿も

設置は大町,続いて松飛台の順だった。各ホーム1台で,これまでの設置駅のようにコンコースへの設置はナシ。松飛台は多機能トイレ,大町はエレベータ・多機能トイレの整備でコンコースをいじるだろうから,その時に後施工する可能性がありそう。そしてなぜか大町では切替と前後して旭光の簡易表示器が使用停止になっている。なぞ。

2/1追記:1/31供用開始の松飛台でも切替と同時に旭光の表示器が沈黙したもよう。。

現時点で集まる情報を整理すれば予想できる内容ではあるけども,あの4駅の中から大町が優先されるってのは話題性高いかなーなんて。

△これからど~なる

銘板といえば三菱

はてさて,銘板の意匠が変わったといえば三菱もそのひとつ。

北総車の機器では主に海側床下,ブレーキ関係の機器を中心に三菱の社名銘板を見ることができる。

7300形をはじめ各形式で見られる三菱銘板だが,これは黒地にロゴを抜いた意匠。つまり単色の銘板だったのだが,今年度に納まった製品から銘板の意匠が変わり,素材の地色を活かして赤のスリーダイヤと黒のロゴタイプを入れたものになった。

って書くと,おいおい今年度に車両買ったわけではないし,何やってんのけ???となるわね。

7300形や9100形などは経年交換的なものでブレーキ受信器などの更新を順次やってるのだけど,京成資産となる7800形・9800形は京成側で更新することになっていて,今年度…昨年2~3Qに更新したのね。
で,それが赤のスリーダイヤだった,というハナシ。。いまさら~

写真は他の案件と学会に忙殺されたのでナシ!

回送行路

これも写真なしの話になるんだけど…。

自前の車庫が寝床くらいの意味しか持たない北総にとって,車両の保守作業はどうしても他社任せになる部分があるのね。それは,それなりの設備で計画していた小室車庫を作れなかった(1990年計画廃止)代償といえばその通りだけど,印旛に移ってからも未だに各編成が年1回必ず他社の車両基地に顔を出して保守整備を受けているのが現状。

他社の車両基地に行く事由は実に様々で,冷房機の整備に始まり,輪軸交換や定期検査などなどなど。印旛にはJ番線の削正機があるので,印旛開設後は削正作業こそ北総で出来るようになったが,西白井の頃はそれすら他社に委託するという有様だった。

こうした作業は元々新京成の椚山工場か京成の宗吾工場の2か所で施工していたのだけど,都市公団のときに公団所有車両の定期検査の委託先を京成に変更したことで,21世紀に入ってからは宗吾工場の施工に一本化されている。

おかげで毎年度1Qから3Qのころにかけて北総車は毎週続々と宗吾工場に回送される。半ば定期列車のように参勤交代…もとい不定期回送列車が走ることになるのだが,そのスジは宗吾回送行路という名前でダイヤ改定のたびに予め決められている設定行路のひとつ。このサイトを読む人には89Nと言ったほうが通りはいいだろか。

△この手の回送が31Nだったころ

 それもかれこれ25年ほど前までは31Nとか運行番号が異なっていたのだけど,当時のことは資料が少なくどういった変遷や背景があったのかちょっと不明(おしえて~)。31N自体は91年3月のNo.101ダイヤから設定されたもので,当時は西白井~くぬぎ山間の回送もこれを名乗ったりしていた(新京成線内は汎用のM台回送だったと思う)。

ここ20年ほどは往復ともに89Nという運行番号を与えられていて,13年のNo.116-2ダイヤからは検査明けの試運転行路のみ91Nを名乗っている。実際には,往路が回送行路No.1,復路がNo.2…といった感じになってるみたい。

はてさて,そんな回送行路に先月のNo.117-4ダイヤから87Nという新しい運行番号がお目見えしている。なんじゃらほい…って感じだけど,実態は印旛~宗吾間の運転であることはそのままに運転時刻を変更したようわからんダイヤ。

No.117-3ダイヤだった昨年夏にも93Nを名乗る往路の設定が数回あったんだけど,おそらくそれが今回の87Nに対する伏線なんじゃないかな~って感じ?

90番台は設定外の臨時行路で使いたいだろうから,無闇矢鱈と食い潰すよりは80番台を選んだほうが無難な気はするので,87番を使うのは妥当なところかな。

しかしスジを動かすだけなら89番をそのまま名乗ればいい話であって,あえて重複しない87番を選ぶというのは,89番がTTC上に設定されているからに違いない。

89Nの時刻で施行できない時に87Nを使うのかと思えば,今のところ87Nのほうがメインな感じ。

なにより,北総車の回送行路は87Nと89N(・91N)が併存するようわからん感じになるんだけど,これが何を示すのかってのはちょっと今得られる情報と状況から推測するには難しいな~。知識が足りない経験が足りない,あーそれもあるなー(わら

何かしらの事情で時刻をずらしたい時に2行路あれば柔軟に対応できる,それはそうなんだけど。

とりあえず来月以降に向けて種を蒔きつつ今月の駄文はおしまいちゃん。