活動報告

よもやま話

西白井保守基地における7000形車両公開の記録

北総鉄道と白井市は,2021年3月に締結した「白井駅・西白井駅周辺地域の活性化に関する協定」に基づき,2021年度より「白井駅・西白井駅の駅周辺地域の活性化プロジェクト」を実施してきた。その一環として2021年度に実施した両駅の副駅名制定に係るクラウドファンディングの返礼のひとつである,7000形保存車両の見学会がこのほど9日に実施された。

本稿は,7000形保存のあらましと本件見学会の様子や見どころを紹介するものである。

7000形保存のあらまし

7002編成を代替した7501編成との邂逅

△7002編成を代替した7501編成との邂逅

7000形は北総線の単なる営業用車両としてだけではなく,新しい街・千葉ニュータウンと新しい鉄道・北総線…それぞれ知名度の低かった両者のイメージリーダーとして四半世紀にわたって活躍した「北総線の顔」でもあった。しかし,製造後20年を経て老朽化が進行した7000形に対して,更新や大規模修繕を行っていく余力が当時の北総にはなかった。当時の7000形は30年に満たない車齢であったが,2005年度から順次7500形への代替が行われ,2007年3月の引退運転をもって全車がその活躍を終えた。

長年「ゲンコツ電車」として親しまれた7000形は,北総社内にとっても特別な思い入れを抱く車両であったことは想像に難くない。最初の車両として北総線の開業を支え,その後の経営難の時代や都心直通運転で利用者が大きく増加していった時代など,様々な出来事を社員と共に歩み,苦楽を共にしてきた車両である。社内の並々ならぬ思いが7000形保存の原動力となったことだろう。しかしながら,車両を保存するには場所も人手も資金も乏しい北総にとって,保存の決断には大変な調整と苦労があったことが推察される。

かくして,7000形の保存は水面下に決定していた。保存対象には,7002編成の北寄先頭車にして,7000形のトップナンバー・7001号車が選ばれた。7002編成は7500形の導入に伴って2006年3月に廃止され,その後7001号車のみが車両基地に保管された。しかし,車両基地は千葉ニュータウンにおける鉄道建設の経緯ゆえに北総鉄道の鉄道施設ではない。財産上は千葉ニュータウン鉄道の鉄道施設であり,北総線の運行に必要な車両を留置する目的で共同使用しているに過ぎなかった。すなわち,7001号車を車両基地に保管することはできず,廃車からまもない7月に西白井検車区の跡地へ移動することになった。

7000形の収容されていた倉に繋がる線路はすべて剥がされた

△7000形の収容されていた倉に繋がる線路はすべて剥がされた

すでに車籍を有しない7001号車の移動は終車後の保守間合いで行われたが,その際に使われたのが貸借開始まもない7268編成だった。7268編成のうち7264~7261号車の4両がけん引車となり,被けん引車の7001号車が北寄に連結された。その様子は北総鉄道の会社創立50周年を機に公開された特設サイト内のクイズで見ることができる。移動は7月19日の終車後に行われ,7001号車は西白井到着後に保守用車で起点方の倉に収容された。その後,西白井検車区内の線路は保守基地として使用している旧・検車庫から終点方を残して撤去され,7001号車を保管している倉は完全に切り離された。

倉から仮設レール上に引き出された7001号車

△倉から仮設レール上に引き出された7001号車

風が吹けば7000形が表情を覗かせた

△風が吹けば7000形が表情を覗かせた


7001号車の再移動があったのは2012年のことだった。西白井検車区は小室車庫建設までの暫定車庫として1978年度に開設されたが,小室車庫の計画凍結後,2期線開業に際して留置能力を向上させるために起点方に拡張された経緯がある。その拡張箇所の用地整理が2011年度に行われ,7001号車を保管している倉についてもその対象となったことから,倉の解体を前に再移動が行われた。その際の再移動先こそが,現在の保管場所であるNT第4道路橋下である。再移動は2012年2月に始まり,ここで7001号車は5年半ぶりに日の目を見た。かつての線路は撤去済みだったため,改めてレールを仮設し,約2週間かけてバックホウで移動させた。悪戯等を考慮して移動中以外はシートが被せられることになったが,その特徴的な車体形状はシート越しにも容易に判別可能だった。この頃から7000形保存の事実が一般に広まるようになったが,それでも北総鉄道は公式の場で保存を明言しなかった。

道路橋下に再移動した7001号車

△道路橋下に再移動した7001号車

フェンス設置後にはシートも新しくなった

△フェンス設置後にはシートも新しくなった


道路橋下への移動後,7001号車の周囲にはフェンスが設置された。2012年度に入ってまもなく,長期的な使用を見越してシートが掛け替えられたが,その後はシートの劣化による取替時を除いて7001号車が姿を現すことはなく,西白井の片隅に今日まで保管されてきたという次第だ。今日まで公開されてこなかった背景には,保管場所が営業線に近接している上に狭隘で動線が確保できないこと,車両の保存を公表できる環境が整っていなかったことが推察される。

クラウドファンディング

一方,沿線自治体のひとつである白井市は,2021年に市政施行20周年を迎えることから,市内の鉄道駅である西白井駅及び白井駅に対して副駅名の制定を検討していた。白井市では梨の生産が盛んな一方でその知名度は決して高いと言えず,周辺自治体においても梨が生産されていることから梨の産地としての差別化を図る農業振興の側面があった。副駅名の制定は2020年10月の行政経営戦略会議に諮られ,駅名標取替費用についてクラウドファンディングを実施する旨が明らかになった。並行して北総鉄道との協議も行われ,こうした経緯をもって2021年3月に市・北総鉄道間における「白井駅・西白井駅周辺地域の活性化に関する協定」の締結に至った。

駅名標を除幕する室谷北総鉄道社長(左から1人目)と笠井白井市長(同2人目)

△駅名標を除幕する室谷北総鉄道社長(左から1人目)と笠井白井市長(同2人目)

北総鉄道と白井市の関係は1978年度の北総1期線開業当初から続く,いわば北総にとって最も長い関係を有する自治体のひとつである。両者は千葉ニュータウンとともに発展してきたが,時には運賃のあり方をめぐって意見が相違することもあった。しかし,白井市の掲げる「第5次総合計画後期基本計画」における重点戦略事業である「駅周辺地域活性化事業」で両駅周辺の活性化が明記され,北総鉄道としても沿線地域のさらなる活性化に向けて様々な施策を実施している状況であったことから,両者の目的がここに一致した格好となった。

副駅名制定に係るクラウドファンディングについては,2021年10月に白井市のふるさと納税として募集が開始され,年末までに3,420千円の目標金額に対して約32%となる1,127千円の寄付を受けた。クラウドファンディングの実施に際しては北総鉄道の室谷社長からの応援メッセージが寄せられ,さらに返礼のひとつとして西白井に保管されてきた7001号車の見学会が設定された。北総鉄道が7000形の保存に言及したのはこれが初めてのことで,その注目度の高さから午前午後通して4回の設定は募集開始からまもなく完売となる盛況ぶりを見せた。

公開準備の一部始終

剥がされ始めた7001号車のシート

△剥がされ始めた7001号車のシート

8日は先頭部以外の2枚のシートが剥がされた

△8日は先頭部以外の2枚のシートが剥がされた


公開に係る準備作業は前日の8日午前中に始まった。車体を覆うシートのうち2枚が午前中に剥がされ,午後には翌日に向けてヘッドマーク等の搬入が行われた。先に記した通り,7001号車に掛けられたシートは取替時しか剥がされないため,換気されていないシート内の車体には汚れが散見される状況にあった。前日の準備作業ではこうした車体外板の汚れも可能な限り清掃された。

なお,盗難防止の観点から7001号車の銘板類は正面貫通扉と乗務員室内の車号銘板を除いて撤去されており,これらは当日を含めて復元されなかった。また,行先種別表示器や運行番号表示器は方向幕を残した状態で車両に艤装されていたため,前日の作業は発生しなかった。

シート除去直後はかなり汚れや錆が浮き出ていた

△シート除去直後はかなり汚れや錆が浮き出ていた

京成グループロゴ付近を見れば汚れが落ちている様子が分かる

△京成グループロゴ付近を見れば汚れが落ちている様子が分かる


公開当日の準備は朝7時ころから行われ,前日作業で除去されなかった先頭部のシートがここで剥がされた。この時点で西白井駅ホームには警戒要員が配置されたが,自由通路を含めて規制線や撮影への制約は発生しなかった。もっとも,前日作業を含めて話題にならなかったことが功を奏したものだが,ホーム上での混乱を避ける目的で,当日の見学会参加者については4回目終了時点まで画像掲載を控えるように指示があった。

先頭部のシートが剥がされ車体全体が露出

△先頭部のシートが剥がされ車体全体が露出

姿を現した7001号車

△姿を現した7001号車


シート除去後は車内外の清掃や換気,表示器の準備が行われた。換気に際しては海山すべての側扉が開扉されたが,換気終了後に海側こそ閉扉されたものの,汚れの目立つ山側の扉は開扉したまま公開を迎えている。また,山側#1ドアには緊急時に使用する可搬式非常はしごが設置され,これを使用して車内を見学することができた。

車両は無電源状態であることから(もっとも15年以上放置した機器に通電するのは安全上の懸念もあるだろうが…),表示器の準備は正面の運番及び行先種別表示のみに留められた。側面は字幕こそ残っているが基準(無表示)のままだった。

このあと海山すべての扉を開いて換気が行われた

△このあと海山すべての扉を開いて換気が行われた

S21表示になった7001号車

△S21表示になった7001号車


行先表示の準備作業

△行先表示の準備作業

01N特急西白井表示で落ち着いた7001号車

△01N特急西白井表示で落ち着いた7001号車


運番表示については当初「S21」が表示されたものの,すぐに「01N」に変更された。01Nは1991年3月の2期線開業時から1993年4月の急行運転開始までの約2年間のみ使用された運行番号である。行先種別表示は表示器からモータを切り離して手動操作により変更し,行先は「西白井」を表示した。種別は「特急」を表示したが,これは計画外だった模様だ。準備時には「特急」の1コマ下にある「急行」まで巻いたものの,さらに下にある「普通」までは巻くことなく,まもなく「特急」に戻されている。当時の北総車は「急行」と「普通」の表示を頻繁に使用していたことから,廃車当時の字幕が残る7001号車についても相当の劣化があったことは想像に難くなく,破損のおそれから表示を断念したと推察される。仮に劣化していなければ「普通西白井」が表示された可能性が考えられる。

見学会所感と保存車概説

見学会の流れ

見学会は午前午後通して4回行われ,各回は定員10名の少人数開催だった。受付は自由通路上に設けられたが,このほか見学会参加者以外も購入可能な物販コーナーが改札外に設けられた。参加者は改札外で諸説明を受けた後に保守階段を経由して保守基地に入場し,電気室脇の通路から保存場所に移動できた。なお,保守基地内は電気室付近に規制線が張られ,東急テクノシステム事務所や研修設備のある終点方には立ち入れなかった。

見学順序は,車両外部の見学を行った後に乗務員室を含む車内見学を行い,その後は車内に展示していたヘッドマーク類を実際に装着した状態で外部を再び見学,最後に自由見学及び物販という流れだった。車両を囲うフェンスはすべての時間帯で入口の門扉が開放され,参加者はフェンス内外で見学,撮影することができた。せっかくなので,本稿の読者に対して解説付きで7000形見学会の様子や見どころを紹介してみよう。7000形見学会は来月にも企画されているので,7000形の現役時代を知らない読者も本稿で予習してから楽しんでみてほしい(同じ内容が見られるとは限らないが…)。

車両外観の見学

車両正面と形状
ようやく公開にこぎつけた7001号車

△ようやく公開にこぎつけた7001号車

まずは「ゲンコツ電車」として親しまれた先頭部から。横から見ると「Σ」のような先頭部の形状が「ゲンコツ電車」の由来だが,この車体形状が決定するまでには数年間の検討を経ている。北総開発鉄道は会社創立から間もない1972年5月に会社として目指す理想像を定め,その中で品質第一,すなわち現在で言うところのCS(顧客満足)を重視した清新な鉄道を求めた。その考えを根底として1976年に車両専門家会議,1977年に車両設計会議が発足し,車両設計に関する検討が重ねられていったが,車両の先頭形状については「貫通扉の設置」,「洗浄の容易さ」,「横並びの灯具」,「保守係員から識別可能な装飾」,「乗務員の視界確保」などを条件とした10種類の形状案が考案された。これを原案として13種類の透視図が車両メーカによって作成され,調整を経て最終決定したのが「ゲンコツ電車」だった。具体的な設計に際しては,台枠や構体周りを日本車輌,運転台周りを東急車輛が分担して設計した。

このときの透視図については,1980年に刊行された『鉄道におけるトータル・デザイン・ポリシー ―北総開発鉄道における具体的展開―』に13種類すべての案がモノクロで紹介されている。公表された図版は長らくモノクロのみだったが,2007年刊行の写真集『北総鉄道7000形車両引退記念写真集 ありがとうゲンコツ電車』に一部のカラー図版が掲載され,最近では北総鉄道公式Twitterや東松戸駅など一部で開催中のパネル展でも紹介されたことで,ようやく13種類すべてのカラー図版を見ることができるようになった。当時は車両に用いる色が決定しておらず,透視図には緑や赤,黄色など様々な色が用いられていたが,ステンレス車体への彩色に当時一般的だった塗装鋼板を用いずにカラーフィルムを用いることが決まると,その色については「デザインポリシー研究会」で候補色が検討された。そして,青系のほか茶系などの候補色から選定された青系の明暗2色が今日までの北総線車両の標準色となった。

車両の劣化状態
水抜き穴周りの腐食状況

△水抜き穴周りの腐食状況

車体は廃車当時の面影をよく残しているが,長年の保管で外板にはサビが浮き始めている。セミステンレス車の7000形は,現役末期の頃から台枠周りの車体裾に外板の波打ちが顕れていた。裾の波打ちは今も変わっていないが,今回は台枠を下から拝んでみると水抜き穴の周囲に腐食の進行が認められた。
7000形の現役時代は,北総が厳しい経営環境に置かれた時代でもあった。最低限の保守に留めてきた箇所もあり,現役末期の状態は決して良いものではなかった。今後の保存を見据えるとき,そうした状態の車両が今日まで補修されずに保管されてきたことを留意する必要があるだろう。

足回り
第1台車は廃車当時のままの状態で残っている

△第1台車は廃車当時のままの状態で残っている

HS-101台車銘板

△HS-101台車銘板


川崎重工業が設計を担当したHS-101/-001台車は,円筒案内式のいわゆるシュリーレン台車である。7000形の設計思想のひとつには保守の省力化があり,分解組立に治具を要さず,検修設備を最小限に留める目的で導入された。同時期に京成が住友のS形ミンデン台車を採用する中で北総が独自路線を歩んだ背景には,当時の北総首脳部が国鉄711系におけるDT38/TR208形台車の使用実績を重視していたことが挙げられる。なお,後に導入される公団2000形(後の9000形)にも保守の共通化を目的としてHS-101/-001台車と同一構造のKHS-101/-001台車が採用された。

7001号車は当初Tc車であったことからHS-001台車を使用していたが,京急線乗入れに際して先頭電動車化が必要となったことから,1992年度にM2車と台車振替が行われた経緯があり,HS-101台車が使用されている。第2台車海側の制輪子調整装置が失われている点以外は廃車当時のままで,銘板も打刻が視認できる程度には磨かれていた。

床下機器
山側には元来のC-2000を搭載・アフタークーラの裏にC-1000がある

△山側には元来のC-2000を搭載・アフタークーラの裏にC-1000がある

廃車発生品由来のC-1000は直流仕様のいわゆる「DC-1000」である

△廃車発生品由来のC-1000は直流仕様のいわゆる「DC-1000」である


C-1000形とC-2000形それぞれの銘板がある高圧補助ヒューズ箱

△C-1000形とC-2000形それぞれの銘板がある高圧補助ヒューズ箱

運転台にはC-1000形搭載車の銘板がある

△運転台にはC-1000形搭載車の銘板がある


床下から失われた機器はなく,海側床下には北寄先頭車の特徴でもあったC-1000形空気圧縮機が残る。かつての7000形はTc車にC-2000形1台を搭載するのみで,編成中2台のC-2000形で賄っていた。8両化に伴って空気圧縮機の能力不足が懸念されたことから,1993年度に廃車発生品のC-1000形1台を北寄先頭車に搭載した経緯がある。高圧補助ヒューズ箱の空気圧縮機銘板の書式が他と異なるのはこのためで,運転台には「C-1000形搭載車」の銘板もある。

妻面
貫通路が閉そくされた7001号車の妻面

△貫通路が閉そくされた7001号車の妻面

連妻側の貫通路は保存に際して板で閉そくされている。7000形は電動車に貫通扉を設けていたことから,元来Tc車だったM2c1車には貫通扉がなかった。板は幌座の固定金具を活用して固定されていて,渡り板も客室内に残っている。

盗難防止のため妻面の銘板はすべて撤去されている。かつては上から順に車号銘板,自重定員銘板,社名銘板,製造所銘板があった。会社創立50周年を記念して発売された「北総トレインボックス」にも製造所銘板以外の銘板が再現されているが,金属地に青文字で描かれた車号銘板と自重定員銘板は実車と異なる。実車は妻面に至るまでデザインポリシーが徹底され,銘板はすべてハウスカラーのビビットブルーを地色としたエッチング銘板だった。書体にナールとヘルベチカが採用されていたのは言うまでもない。

検測装置
パンタグラフ監視装置のコネクタ

△パンタグラフ監視装置のコネクタ

コネクタから空調キセに繋がる配線が今も残る

△コネクタから空調キセに繋がる配線が今も残る


運転台の行先種別表示器上部にはモニタ架の取付跡がある

△運転台の行先種別表示器上部にはモニタ架の取付跡がある

黒く塗りつぶされた「パンタ監視テレビ」銘板

△黒く塗りつぶされた「パンタ監視テレビ」銘板


そして妻面の上部にはパンタグラフ監視装置のコネクタが残る。かつて7000形のM1車屋根上にはパンタグラフ撮影用のカメラがあり,その映像は隣接するTc車の乗務員室に設置されていたモニタで確認できた。屋根上に残るコネクタには車両間で映像を伝送するためのジャンパ線が接続されていた。車両の配線は今も一部が残っていて,コネクタから空調キセに取り込まれる様が確認できる。また,乗務員室内の行先種別表示器上にはモニタ(もちろん当時はブラウン管テレビである)を設置していた架の取付跡があり,配電盤には銘板から「パンタ監視テレビ」の文字が黒く塗りつぶされたNFBもある。

7000形のパンタグラフ監視装置は,集電舟とトロリ線の接触状態を確認する目的で設けられた。このほかにも7000形には車体と台車それぞれの振動加速度を計測することも可能で,いずれも異常を早期に発見することを期待して運用された。その考え方は今日の鉄道事業者がこぞって検討する状態基準保全(CBM)に通じるものがあり,計測を営業用車両で行おうとする営業車検測の思想は一部の鉄道事業者で実際に導入されている。7000形は1978年度の導入当初からこれらの検測装置を設け,月1回の検測を実施していたという。パンタグラフ監視装置の運用は長くは続かなかったが,7000形の時代を先取りした思想のひとつとしてその名残を今日に伝えている。なお,振動加速度計は南寄先頭車のC側ベンチボード上に搭載する設計だったため,保存されている7001号車に見ることはできない。

なお,現役当時のパンタグラフ監視装置の写真については,1979年10月のJREA誌に掲載の記事『北総開発鉄道の車両』にカメラとモニタの外観が紹介されているほか,実際に撮影された映像が1979年のJapanese Railway Engineering誌に掲載の記事『Newly Developed Railway System and Components of the Hokuso Rapid Railway and Its Operational State』に紹介されている。

車内の見学

客車内とカラースキーム
暖色系でまとめられた客車内

△暖色系でまとめられた客車内

登場時の7002号車客車内

△登場時の7002号車客車内


広告こそ撤去されているが,車内も廃車当時のまま残っている。ステンレス車体に青系の装飾という寒色系で纏められた7000形の外観に対して,客車内の内装は赤色の床とオレンジ色の腰掛,アイアントーンのデコラT9980を化粧板に採用することで外観と対照的な暖色系のカラースキームとする思想が採用された。その腰掛は都心直通運転の開始を前にオレンジ色から赤色に変更され,つり革やカーテン等の設置によって車内の見附にも若干の変化はあるが,導入当初の面影は十分に残っている。検討時には床を茶色とする案や黄色や臙脂色を腰掛に用いる案もあったという。

側窓とカーテン
熱線吸収ガラスは外観の装飾にあわせて青みがかっている

△熱線吸収ガラスは外観の装飾にあわせて青みがかっている

都心直通運転の開始を前に設けられた側窓のカーテン

△都心直通運転の開始を前に設けられた側窓のカーテン


草創期の北総開発鉄道は車両にも快適性を重視した。客車内は「百貨店のような」完全空調を目指すべきという思想から,冷房機の搭載はもちろんのこと,その能力についても従来車で34,000kcal/hとしていたものを42,000kcal/hに向上させた。そして,窓ガラスには外観の青系装飾にあわせた青色の熱線吸収ガラスを用いることで,太陽からの輻射熱による車内温度の上昇を抑制した。これによって冷房機のみで十分な冷房能力の確保が可能となり,通勤車両でありながら「百貨店のような」固定窓が実現した。

7000形が意欲的だったのは固定窓の実現に留まらず,カーテンすら廃した点だ。開閉窓では走行中の塵が車内に入って髪を汚すことになる。カーテンがあれば開閉のたびに隣の旅客に気を遣う煩わしさがある。7000形のカーテンのない固定窓は,利用者本位の快適性を追求した結論でもあった。しかし,都心直通運転に際して一号線直通車両規格に基づいてカーテンの設置を余儀なくされた。カーテンのない固定窓の通勤車両が他の鉄道事業者に広まっていくのはそれからしばらく後のことである。

換気対策
天井に設けられた換気扇と開閉可能な小窓

△天井に設けられた換気扇と開閉可能な小窓

7000形との併結用に準備された2000形(9000形)の換気扇NFB

△7000形との併結用に準備された2000形(9000形)の換気扇NFB


側窓の固定化は窓を大きくとることに繋がり,開放的な車内空間を形成するとともに,側面の見附をすっきりと纏めることにも寄与した。後に固定窓を採用した通勤車両が他の鉄道事業者でも導入されるようになるが,冷房装置の故障時に備えて換気扇を設けるとともに,電源喪失時にも対応できるように換気用の開閉可能な小窓を側面と妻面に設けていたことは,7000形の優れた設計思想として評価できよう。

なお,後に登場する公団2000形には7000形と異なりバランサ付の開閉可能な窓が設けられ,換気扇は設けられなかった。しかし,2000形は7000形と併結しても運用できるように設計されていたことから,換気扇制御用の引通し線が2000形にも設けられ,配電盤にも換気扇用のNFBが存在していた。

側扉


そんな7000形の窓ガラスはHゴムで押さえられている。それは側扉も同様で,造作は設計を担当した日本車輌が当時手掛けた車両(名市交3000形初期車など)に共通している。一見平凡に見えるが,カモイまでの高さは1850mmと高身長化する日本人の体型に配慮した設計とされている。また,戸閉機は当初からY1形を使用していたので,戸袋にリンク機構の点検蓋はない。

窓ガラスには7000形の歩んできた歴史が浮き出ていて,かつてのドアステッカーの痕が見て取れる。1980年代には新京成に準じた円形のステッカーを,都心直通運転の開始に際しては窓の下部に四角形の大型ステッカー,その後は下部のみのステッカーを経て,今日も残る「ドアにご注意!」のステッカーが中央に貼られた。

袖仕切のスタンションには外側に傾斜がつけられている。これは車内空間を広く見せるための工夫だという。

座席
座面は2人掛けに分割されている

△座面は2人掛けに分割されている

色は異なるが2000形(9000形)の2人掛け腰掛は7000形と共通品だった

△色は異なるが2000形(9000形)の2人掛け腰掛は7000形と共通品だった


7000形の座席は定員着席を促すために腰掛の座面が2人ずつに分割されている。通勤車両で定員着席を促進させる方策は当時まさに試行錯誤の最中にあり,国鉄も201系においてモケットの色を変えて座面を3人掛けと1人掛けに分割するなどしていた。後に登場する公団2000形は2人掛けと4人掛けに座面を分割してそれぞれのモケットの色を変えたが,このうち2人掛けの座面については7000形と共通品とすることで保守の共通化が図られた。また,7000形の座席は8人掛けと6人掛けからなり,2人掛けの座面1種類ですべての座席が網羅できる利点もあった。

しかし7000形の座席配置は構想当初からロングシートだったわけではない。草創期の北総首脳部はクロスシートによる快適な通勤を構想し,すべてクロスシートとする案やクロスシートとロングシートを千鳥に配置する案も検討したという。これら実現しなかった案の一部は7000形の引退記念写真集に掲載されている。

優先席
車端部の優先席

△車端部の優先席

車端部の優先席は7000形の導入当初から設定されている。現役末期に側窓の優先席シール掲出や黄色いつり革への変更が始まった7002編成は,廃車間近である事情から優先席シールやつり革変更の対象外とされていた。そのため車内はつり革が黄色くなる前の姿を残していて,窓には携帯電話マナーを示すシールしか掲出されていない。これはATSについても同様で,最後まで残った7004編成だけがC-ATS対応工事の対象となった。

つり革と握り棒


握り棒の存在も7000形の意欲的な思想を語る上で欠かせないだろう。導入当初はつり革を一切なくし,つり革と同じ高さに握り棒を設けることでつり革の代わりとした。今日のつり革は都心直通運転を機に設置されたもので,つり革を支持しているパイプが元来の握り棒であることから,7000形のつり革はベルトが短く位置も低い。扉付近には天井から握り棒が下がっていて,つり革の設置後も扉付近だけは握り棒が活用され続けた。

ワイヤレスマイク
天井に残るワイヤレスマイクの受信機

△天井に残るワイヤレスマイクの受信機

天井から下がる握り棒の間にある箱はワイヤレスマイクの受信機である。これも導入当初に使用されていた設備のひとつで,車掌が車内を巡回している際にも放送できるように導入されたワイヤレスマイクの受信機が天井に残っている。同じ意図で設備された装置としては,中間車でも扉の開閉操作ができるように車掌スイッチが各中間車にあったほか,車掌スイッチに隣接して非常通報装置の受話器もあった。車掌スイッチは一般的なS551形ではなく,「此の扉」「他の扉」操作ができるS528形だったが,非常通報装置とあわせて都心直通運転の開始を機に撤去されている。これらは中間車のみの装置であり,7001号車で見ることはできない。

掲示物
「ウェルカム2010」プロジェクトのシール

△「ウェルカム2010」プロジェクトのシール

廃車当時の路線図

△廃車当時の路線図


車内の掲示物は広告こそ撤去されているが,路線図や成田新高速鉄道の開業を前に行われたプロジェクト「ウェルカム2010」のシールはそのまま残されている。「ウェルカム2010」は成田新高速鉄道のBルート開業に向けた実務上の準備が始まった2002年度に発足したプロジェクトで,2010年に予定された成田新高速鉄道の開業を待ち望む沿線地域の思いがプロジェクト名に込められている。7000形のほか9100形にも同様のシールが掲出されていたが,それ以外には「ほくそう春まつり」などのイベントもこのプロジェクトの名前が使われたことがあった。なお,プロジェクト発足にあたり2002年6月に千葉ニュータウン中央駅前に整備された2010本のバラからなるバラ園は,現在の北総花の丘公園内に再整備されている。

乗務員室
7000形の乗務員室内

△7000形の乗務員室内

予備と明記されたNFBがかつての新京成用列車無線のNFB

△予備と明記されたNFBがかつての新京成用列車無線のNFB


今回の見学会では乗務員室内への立入も可能だった。先鋭的な「ゲンコツ電車」ではあるが,乗務員室はオーソドックスな機器配置で珍しい装置は少ない。乗務員室も廃車当時のままで現役末期の運転台がそのままに保存されている。運転台周りには後年追加された装置も多いが,逆に撤去された装置もあり,そのひとつが新京成線直通運転で使用していた空間波方式の列車無線装置である。

配電盤の予備スイッチは通常であれば銘板は無表示となるが,7000形には「予備」と銘板に明記されたスイッチがある。これがかつての空間波無線用の列車無線装置で使用していたスイッチで,「SR」と書かれた銘板の上に「予備」のシールが貼られている。空間波無線用の列車無線装置は新京成線に列車無線が導入された際に追加されたが,新京成線との直通運転が廃止された後は不要となり,1995年度から順次撤去された。

車内の展示品
第14回SDA賞の賞状

△第14回SDA賞の賞状

1980年度ローレル賞の賞状

△1980年度ローレル賞の賞状


車内には往年のヘッドマークのほか,北総線開業当時のデザインポリシーに対して1980年7月に日本サインデザイン協会から贈られたSDA賞,7000形に対して翌8月に鉄道友の会から贈られたローレル賞の賞状の展示もあった。

ヘッドマークの掲出

北総線の顔だった7000形は,導入当初から引退まで様々な節目でヘッドマークを装着して話題をつくってきた。今回の見学会では,往年の7000形を象徴する様々なヘッドマーク等が車内に用意されていたが,これらは単なる展示に留まらず実際に掲出することもできた。

方向板各種
C台に「小室」の方向板を掲出した7002編成

△C台に「小室」の方向板を掲出した7002編成

方向幕に北初富表示が追加された7004編成

△方向幕に北初富表示が追加された7004編成


最初に用意されたのは開業当時に使用していた方向板。7000形には導入当初から電動方向幕式の行先種別表示器が備わっているが,開業当初には方向幕の故障時に備えて行先を記した方向板も用意されていた。方向板は貫通扉下部のステーに差し込んで表示するもので,当初は開業時の定期列車で使用していた行先「小室」「北初富」「松戸」の3種類があった模様だ。後に「千葉ニュータウン中央」が「小室」の裏面に追加されたようだが,「北初富」の板以外は使用機会がほとんどなかった。北初富止まりの列車は開業直前に急遽設定された経緯があり,このため最初期の方向幕には北初富の表示がなかった。したがって,北初富止まりの列車には「北初富」の方向板を使用せざるを得なかったという事情がある。間もなく1980年には北初富の表示が追加された方向幕に交換され,これを機に方向板を使う場面はほとんど無くなってしまった。

北初富行の方向板

△北初富行の方向板

小室行の方向板

△小室行の方向板


千葉ニュータウン中央行の方向板

△千葉ニュータウン中央行の方向板

松戸行の方向板

△松戸行の方向板


今回の見学会では往年の方向板3枚すべてが用意され,4種類すべての行先を見ることができた。惜しむらくは方向幕が不釣り合いなことだが,貴重な方向板つきの7000形を2022年に見られただけでも十分と言えよう。

往年のヘッドマーク各種
「コスモス」ヘッドマーク(1995年)

△「コスモス」ヘッドマーク(1995年)

「ありがとう7000形」ヘッドマーク(2007年定期列車用)

△「ありがとう7000形」ヘッドマーク(2007年定期列車用)


「さよなら7000形」ヘッドマーク(2007年引退運転用)

△「さよなら7000形」ヘッドマーク(2007年引退運転用)

「ありがとう7000形」ヘッドマーク(2007年引退運転用)

△「ありがとう7000形」ヘッドマーク(2007年引退運転用)


後半は往年のヘッドマーク4種類の掲出だった。「コスモス」のヘッドマークは北総線における季節催事のヘッドマーク電車のはしりで,1994年度から秋のコスモス開花シーズンにあわせて運行された。今回掲出された「コスモス」のヘッドマークは1995年に使用されたもので,毎年このような手作りのヘッドマークが制作されていた。

2期線の開業から間もない当時の北総線は今ほど利用者も多くなく,むしろ積極的に利用者を獲得して増収を図らねばならない経営状況にあった。千葉ニュータウンもまだ空き地が多かった時代で,千葉ニュータウン中央駅前には相当な規模のコスモス畑があった。これを「コスモス」ヘッドマーク電車の運行により北総線沿線内外に対して広報することで行楽利用を誘致したのである。なお,千葉ニュータウン中央駅前のコスモス畑は,印西牧の原の街開きにあわせて1995年から印西牧の原駅前に場所を移している。「コスモスまつり」にあわせて北総線初の1日乗車券が発売されたのもこの年のことだった。

白地の「ありがとう7000形」ヘッドマークは,7000形の引退が迫る2007年3月に掲出されたもの。定期での営業最終日となった3月14日までの2週間にわたり,最後まで残った7004編成の労をねぎらった。ヘッドマークの文言は南北で異なり,北寄が「さようなら」,南寄が「ありがとう」であり,今回掲出されたのは7004号車で使用されたものである。

青地の「さよなら7000形」と夕日を背景に走り去る絵柄の「ありがとう7000形」は,いずれも7004編成の引退運転時に使用されたもの。青地のものが南寄,夕日のものが北寄に掲出された。これまでも幾度かイベント等で公開されているヘッドマークだが,再び7000形に掲出した姿を見られる日が来るとは夢にも思うまい。ちなみにこの2種類のヘッドマークも手作りで,青地のヘッドマークについては車体側面のコルゲートまで再現されているほど意匠に力が入っている。

所感と謝辞

かくして1時間半の濃密な見学会は終わりを告げた。全体を通した所感としては,かなり自由度が高く充実した見学会だった。1時間半という時間枠に対して見学対象は1両のみ,それも車両至近にフェンスがある環境だったことから,事前の印象としては不安も大きかったが,それは杞憂に終わった。むしろ過去10年の北総線関係の見学会では最も自由度が高かった印象で,少人数ならではという事情もあるだろうが,時間いっぱいに様々な記録を行える環境があった。

語り尽くせぬ思いはまた追々・・・

△語り尽くせぬ思いはまた追々・・・

様々な思いの上に今日まで水面下で保存されてきた7000形が,会社創立から50年という節目の年に公開に至ったことは本当に喜ばしい。草創期の社員らの努力が生んだ「ゲンコツ電車」の人気は色褪せず,彼らが目指した愛される鉄道に相応しい車両であることを改めて実感した次第である。さっそく来月5月には北総鉄道主催の見学会が企画されているところだが,北総鉄道によると今後の処遇や活用計画は具体化していないという。

本件企画にあたって尽力されたすべての関係者にこの場を借りて御礼申し上げるとともに,今後とも白井市をはじめとする沿線地域と北総線のさらなる発展を祈念して本稿の筆を置きたい。