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京成電車の20コマ・40コマ表示器あれこれ
ああそうだとも,いつもどおり表示器の話だとも。
最近ちょっと考えていた表示器関係の話について,備忘録がてら記しておこう。
内容はちょっと難しめ。
1.YA-4650系20コマ表示器の導入時期について
いきなり型番で言われても分からん感じな(わかる)。3500形未更新車に残るだけとなったキチョーな接点式20コマ表示器のことである。
けっこうボロい機種だが,実はこれが初代表示器でないことは現物から実証済みである。
ちなみに,初代表示器は3150形・3300形向けに導入された森尾製の同期進段式表示器である。白地にやや角ばった文字が特徴と言える。
現在に引き継がれる青地表示幕となるのは1979年度落成車からで,それまでは白地表示幕だった。つまるところ3500形の中盤辺りまでは白地幕で落成していた。
ここまでの事実から,YA-4650の導入時期はどのタイミングなのかをこれまで考えていた。
一つの仮説として持っていたのは,1979年度の青地化と同時に導入したというもの。
これまで確認されていた字幕は,白地にはいずれも同期進段用の検知穴があいたものであり,青地にはいずれも接点式の金属箔が貼られたものであった。
帰納法的に推理すれば,白地=同期進段式,青地=接点式と見るべきであろう。となれば,1979年度がYA-4650の導入初年度と考えられるはずだ。
しかし,この仮説には問題点が幾つかあった。
一つは同系列内での併用に関するものだ。制御方法もメーカーも異なる表示器を同系列内で使用した場合,同系列同士の連結時に支障が出るのではないかという疑問があった。青地幕車と白地幕車の連結を避けるというのは,当時としてなかなか考えづらい。当時の資料からは決定的な証拠に乏しく,証明は難しかった。
もう一つは型番である。八幡電気産業の製品に対する型番付与法則は,YAのプレフィックスに続く2桁の数字が設計年を示している。例えばAE100形(1990年導入)の表示器はYA-89154,3700形(1991年導入)の表示器はYA-90199であり,それぞれ1989年・1990年の設計であることが読み取れる。古い製品には西暦ではなく和暦を使用しているため,YA-4650の場合は昭和46年=1971年の設計である。つまりYA-4650の初号機は1972年頃に納品されたと考えられる。1979年度の青地化を導入時期と仮定すると,その間の7年間は丸々空白となる。多品種少量生産が基本の業界において,他社と比べて特殊な仕様の表示器が7年前からちょうどよく存在していたとは考えづらい。YA-4650は京成向けに1971年に設計されたと見るのが筋だろう。
いずれにせよ争点となるのは,1979年度以前に導入された3500形にYA-4650が採用されていたかどうかである。言い換えれば,その時期の3500形の白地幕の仕様が知りたいということだ。
色々と考え倦ねていたのだが,先日決定的な証拠によって導入時期を断定することができた。
というのも,白地の接点式表示幕を確認したのである。新たな物的証拠によって白地=同期進段式という従来の認識は覆った。
3150形・3300形向けの白地幕は同期進段式であるから,新たに見つかった接点式の白地幕はそれら以外,つまり3500形用であろう。
3500形の表示器は最初からYA-4650だったのだ。昭和46年という設計年は1972年導入の3500形向けだったと考えれば納得である。
設計年のあたりで勘付いていたとはいえ,証拠なしに仮説を破ることはできず,だいぶ長引いてしまったが,ようやくこの件は解決と言えそうである。
2.3600形の表示器について
別にWikipediaを信用する気はさらさらさらさらないんだけど,3600形から40コマになりましたとか書いてあるとホントかよと証明したくなるのが病気。
京成の40コマ表示器というのはYA-90199系なわけで,3600形には正面用のYA-90200と側面用のYA-90199が採用されている。先ほども書いたが設計年は1990年であり,3600形の導入年度である1982年の時点では影も形も無かった機種である。つまり,以前採用されていた表示器から交換されているということである。
では,以前の機種とは何だったのかという話だが,これが40コマである確証が無いのだ。
YA-4650系の40コマ化は機械ごと替えない限り不可能であり,新規型番が発生する。これは同機種のコネクタならびに検知制御機構の仕様によるものである。同機種ではロータリスイッチの1接点につきコネクタ1接点を使用しているため,コネクタは表示コマ数+3(モータ電力線+制御線)を結線している。なので行先であれば24ピン,種別は16ピンのコネクタを使用しており,40コマ化によって必要となる線の結線はコネクタ接点数が不足するため不可能である。たとえコネクタを交換しピン数を増やしても,ロータリスイッチなど検知制御部分の改修が必要になり,いずれにせよ新規設計になってしまう。
3600形から導入された正面の種別表示器はYA-5686という機種で,昭和56年=1981年の設計ということからも3600形向けであることが分かる。もし新規に設計された40コマ表示器を採用していたのであれば,YA-56xxという型番であったと考えられる。
しかし,40コマ表示器から40コマ表示器に替える理由は何だろうか。1990年代に20コマタイプのYA-4650から40コマタイプのYA-90199へ交換が相次いだ理由としては,北総・公団線や京急線,千葉急行線への直通拡大によって字幕のコマ追加が加速し,20コマ幕では限界になったことが大きい。実際,20コマ式で更新された3150形は1991年の時点で20コマ全てが埋まったため1992年の大森台追加が行えず,暫くの間千葉急行線への直通運用から外されていた。同形式の千葉急行線直通開始は同年夏以降のYA-90199化からだった。このように表示器の交換はコマ数上限の引上げが主要因であり,40コマから40コマに替える理由は少なくとも3600形の使用実態には存在しない。また,20コマ式が限界を迎える時代は1990年代であり,1980年代には僅かながら空きコマが存在していたように,当時40コマ化を行わないといけない理由は無かった。
さらに,3150形や3200形の更新時の資料を読むと,表示器の欄にはYA-4650系を採用した旨が記されている。3600形導入後に更新した車両がYA-4650を採用しているのに,3600形だけ別形式の40コマ表示器を採用するだろうか。仮に40コマ表示器を3600形で採用していたとするならば,3150形や3200形も同機種を採用するだろう。前述の大森台対応のように困ることは無かったはずだ。
という感じで,この3600形から40コマ化という記述はヒジョーーーに怪しいのである。
ちなみに,40コマ表示器のYA-90199やYA-90200には検知用のフォトセンサがついている。前者は仕切り板にオフセットされる形でついていて,後者は表示器の右端についている。なので表示器を斜めから見ると端っこに黒いフォトセンサが確認できる。当然3600形登場当時の画像にはフォトセンサは見えず,YA-90199系であることは否定される。
まあ…誰もこんなこと調べないんだよね。
方向幕なんて幕(表示)しか見ないし,車両も車両全体でしか記録しないので,システムとしてどうなっていたのかという話はいつもなおざりにされる。
拗らせた一部の人間がああだこうだ言っているだけの他愛もない雑記にすぎないのは,そういう議論の場が醸成されないことも一つである。