北総車行先幕:N61―北総7300形側面用1992年度版

2016年8月12日公開・ 最終更新

概要

1991年3月の北総2期線開業に伴い導入された新造車7300形車両は,その設計を京成3700形と共通としていたことから,当初より八幡YA-90199系の40コマコード式表示器を装備していた。これに対応した行先幕として1990年度に制作されたのがN60である。

当時の北総車の表示器には形式間での互換性がなかったものの,方向幕のコマ配列においては800形用N70を除いてある程度共通化が図られていた。この標準配列は,最上部を基準(黒一色の単独表示)とし,以下に4コマ分の空白を挟んで,京成線,都営線,京急線,北総・公団線,新京成線の順に2~3コマずつの行先表示を収録したものであった。2000形(9000形)や7150形は既に40コマ程度の方向幕指令に対応していたが,20コマ接点式を装備していた7000形に合わせる形で表示配列が作られており,40コマ車については20コマ分の余白が下部に存在していた(N40等)。

しかし,7300形向けに導入されたN60は,当時京成3200形を皮切りに導入され始めていた京成車40コマ行先幕に準じたものだった。これは,1960年代末から京成車で用いられてきた20コマ行先幕の内容を拡張したもので,配列自体は1969年の京成車初代行先幕の系譜を引いていた。ゆえに,N60は北総車他形式で導入された行先幕と配列を完全に異にしていた。他方,ベースとされた京成車40コマ行先幕に目を向けてみると,N60との差異は地色のみであり,つまり京成車が青地なのに対しN60は北総車標準の黒地であるという点を除けば内容は京成車のそれと同一であった。この点は新京成車の方向幕に依存した800形向けN70に近いものがある。

配列を具体的に見てみよう。上部19コマ目までは京成車初代行先幕から続く「基準,泉岳寺,東中山…」という京成線と都営線の混じった特徴的な配列で埋められているが,20コマ目からは一転して京急線の行先表示が収録されている。1990年度以前の京成車行先幕には三浦海岸や逗子といった季節運転列車に使用していた行先が収録されていたが,1991年3月改正以降のダイヤで京成車による定期的な京急線直通列車が設定されたことを受けて,品川や川崎といったこれまで収録されていなかった京急線北部の表示も追加された。南部の行先については新逗子と三崎口のみに留められたものの,開業が予定されていた空港線羽田空港口駅(仮称・後の93年4月に羽田駅として開業)への乗入れを想定して「羽田空港口」の表示が25コマ目に入れられた。続く26コマ目からは北総・公団線の行先で,29コマ目に千葉急行線,30コマ目以下には新京成線の行先も収録された。

ここで特筆すべきは29コマ目の「大森」の存在である。このコマは現在「大森台」になっていることからも分かる通り,当時建設が進められていた千葉急行線大森駅(こちらも仮称・後の92年4月に大森台駅として開業)を指した表示である。前述の25コマ目「羽田空港口」と同様に仮称をそのまま印刷した表示で,両者とも営業時には一切用いられなかった。「羽田空港口」の表示は,92年以降にN61やN90で33コマ目に「羽田」を追加する対応がとられたため,25コマ目は引続き「羽田空港口」のものとして残り,今なお空白コマとして「保留」されている(一時期は25コマ目を指令すると強制的に33コマ目の指令に変換される機能さえ存在した)。しかし,「大森」は同一位置で「大森台」の表示と差替えられたため,1991年後半以降の方向幕には「大森」の痕跡が一切残らなかった。同じ幻の行先表示でありながら,「羽田空港口」は長年その痕跡を残し続けたのに対し,「大森」はわずか1年でその痕跡の殆どを失ったのである。

ともあれ,1990年度のN60はその後のN90N100に続く40コマ行先幕の基礎となった行先幕であった。旧来の京成行先幕を踏襲した19コマ目までと,路線ごとにすみ分けられた20コマ目以降の対照的な配列を持ち,京成・都営・京急・北総公団・千葉急行・新京成の6社局の表示を収録した,まさに当時の直通運転の代名詞といえる存在であった。しかし,その後は新京成関連行先の抹消や相次ぐ延伸対応によって,N60の整理された配列は大きく崩れていく。

以下の字幕は1992年度にN90と仕様を揃えるかたちで「羽田」「矢切」の2コマを33コマ目以下に加刷したものである(N61)。32コマ目「北初富」以下には当初表示がなかったため,確認文字は印刷されていなかった(黒で潰されていた)が,この加刷時に「羽田」の確認文字を抜き文字で入れている。京成では表示本体・確認文字ともにシール貼りで施工するのが一般的だが,北総ではプロッターによる加刷で対応しており,既存コマへの確認文字追加については白インクで加刷している。N61・N90ともに印西牧の原の加刷を行なっておらず,また1995年以降にこれらの字幕を用いた記録がないことから,いずれも印西牧の原開業の際にN100に取って代わられ,現役を退いたものとみられる。

字幕一覧

hsf1992_1

△1:基準

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△2:泉岳寺


hsf1992_3

△3:東中山

hsf1992_4

△4:小岩


5:金町

△5:金町

6:高砂

△6:高砂


7:青砥

△7:青砥

8:押上

△8:押上


9:西馬込

△9:西馬込

△10:上野


11:うすい

△11:うすい

12:成田

△12:成田


13:佐倉

△13:佐倉

14:大和田

△14:大和田


15:津田沼

△15:津田沼

16:千葉中央

△16:千葉中央


17:宗吾参道

△17:宗吾参道

18:東成田

△18:東成田


△19:成田空港

20:品川

△20:品川


21:川崎

△21:川崎

22:新町

△22:新町


23:三崎口

△23:三崎口

24:新逗子

△24:新逗子


△25:羽田空港口

26:新鎌ヶ谷

△26:新鎌ヶ谷


27:西白井

△27:西白井

28:千葉ニュータウン中央

△28:千葉ニュータウン中央


△29:大森

30:松戸

△30:松戸


31:くぬぎ山

△31:くぬぎ山

32:北初富

△32:北初富


33:羽田

△33:羽田

34:矢切

△34:矢切


35~40:空白