北総線運行ダイヤの様式及び番号の変遷

2015年3月1日公開・ 最終更新

北総線におけるダイヤ番号管理

北総線における列車の運行計画は,1978年度の開業当初から一貫して自社の運転部門で策定されてきた。その運行計画,すなわちダイヤについては,個々に番号が割り当てられて管理上の区別がなされてきたところであるが,今日では以下のような付番法則が用いられている。

以上の内容は京成電鉄におけるダイヤ番号の管理体系に準じている。北総線の運転部門では,ダイヤ様式やダイヤ作成システムなど様々な面で京成電鉄の影響を強く受けており,ダイヤ番号の管理体系もその一つである。ただし,あくまでダイヤ番号は北総鉄道としての独立した管理番号であり,京成電鉄のダイヤ番号とは異なる。また,ダイヤ変更時における「改正」または「修正」の判定も京成電鉄とは独立しており,両社は基本的な考え方を共通化しているに過ぎない。

なお,ダイヤ番号の起算基準である1991年3月31日施行のNo.101ダイヤとは,京成高砂・新鎌ヶ谷間の北総Ⅱ期線開業に伴い都心直通運転を開始した時のダイヤである。この時から京成様式でのダイヤ作成がなされるようになり,ダイヤ番号を100番代として従来からの区別が図られた。

列車運行図表の変遷

列車運行図表の様式

北総線の運行計画は先述の通り自社の運転部門で策定されているが,一方でその運行計画を表した列車運行図表については草創期から一貫して他社の様式にならって作成されてきた。他社の列車運行図表からの変更点は社名の書換えなど最小限に留められ,実質的には他社と同じ列車運行図表が用いられている。直通運転という特有の環境に加えて,北総鉄道の会社規模やダイヤ作成システムを保有していない等の事情から,他社の作成した列車運行図表の部分変更を行うことが今日まで合理性を有した作成方として継続している。

草創期における新京成様式ダイヤ

新京成様式で作成されたNo.1ダイヤとNo.7ダイヤ

△新京成様式で作成されたNo.1ダイヤとNo.7ダイヤ

さて,列車運行図表の様式は今日においては京成電鉄の様式に準じているところであるが,かつて新京成電鉄との直通運転を実施していた時期においては新京成電鉄の様式に準じていた。新京成様式での列車運行図表は北総線開業時の1979年3月9日施行ダイヤに始まるもので,同社線との直通運転が廃止される直前の1991年8月7日施行ダイヤまで作成された。

新京成様式の列車運行図表は,新京成線区間の上部に北総線区間を書き加えたものである。新津田沼起点の同社線においては京成津田沼方を図表上部に配置していたことから,図表の整合性を保つために北総線区間の駅配列は終点方の小室が図表上部となるように配置された。ダイヤ番号は北総線開業時の1979年3月9日施行ダイヤをNo.1として起算するもので,平日と休日で独立した番号が付与された。

最も初期のNo.1ダイヤにおいて社名表記はゴム印であった。新京成の列車運行図表から社名を抹消し,「北総開発鉄道株式会社」の印を押したものと推察できる。その後は社名を植字した版によって印刷されるようになったが,新京成の図表との違いは社名のみであった。

社名違いの列車運行図表を作成したのは公団鉄道も同様だった。鉄道事業法に基づいて3種事業者化された1988年以前には,住都公団の名前で乗車券の発売等あらゆる鉄道業務を実施していたが,列車運行図表においても「住宅・都市整備公団」の組織名を記した図表が作成されていた。公団名による列車運行図表の作成は,同線の開業した1984年3月19日施行ダイヤをNo.1ダイヤとして,1988年2月5日施行ダイヤのNo.3ダイヤまで続いた。

京成様式ダイヤの使用開始

北総線の都心直通運転が始まった1991年3月31日施行ダイヤからは,京成電鉄の様式に準じた列車運行図表が作成されるようになった。都心直通運転を開始したことで,従前の新京成様式の図表には記載されていない京成線や都営浅草線方面の記載が求められたためだった。

京成様式のダイヤでは,北総線は図表の最下部に配置された。駅の配列は京成上野または押上が図表の上部となる配置であったことから,北総線区間においては従前の新京成様式とは逆に起点方の京成高砂が図表上部に,終点方の千葉ニュータウン中央が図表下部となるように配置された。そしてダイヤ番号は100番代に区別されて,1991年3月31日施行ダイヤをNo.101ダイヤとして起算するように改められた。列車運行図表に印刷される社名のみ変更している点は様式こそ変われども従前同様であったが,ここに今日の北総線における京成様式ダイヤの礎が築かれた。

ところで1991年3月31日の改正時点では,従前からの新京成線直通列車も引続き運行されていた。新京成様式の列車運行図表には京成線方面の記載がない一方で,京成様式の図表には新京成線の記載がなく,新京成線直通列車を運行する上では従来からの新京成様式の図表がこれまで通り必要とされた。したがって,新京成線との直通運転が廃止されるまでは新京成様式の列車運行図表が継続して作成されており,そのダイヤ番号は京成様式とは別に従来からの新京成様式の番号体系によって付与された。すなわち1991年3月31日施行ダイヤにおいては新京成様式をNo.7ダイヤ,京成様式をNo.101ダイヤと呼称し,同一の運行計画に対して複数のダイヤ番号が併存した。

自社ダイヤの作成縮小と再開

京成様式ながら北総線内のみが記載された列車運行図表もある

△京成様式ながら北総線内のみが記載された列車運行図表もある

Ⅱ期線開業直後の北総開発鉄道における厳しい経営状態は列車運行図表の作成にも影響した。新京成線との直通運転が廃止された1992年7月8日施行ダイヤにおいて北総は自社ダイヤの使用を取りやめ,すなわち社名すら変更せず京成電鉄の列車運行図表をそのまま使用しはじめた。社名のみの僅かな変更とはいえ自社ダイヤの使用には少なからず費用が発生するため,乗務員や駅等に配布する列車運行図表は京成電鉄の図表を代用する体制がとられた。

社名違いの列車運行図表の作成はダイヤ作成システム導入でコンピュータ作図となった1994年4月1日施行のNo.104ダイヤから再開され,以降は京成電鉄の所有するダイヤ作成システムを借用して作成されている。こうした制約は実務面での苦労も多いようで,業界誌の座談会で運輸部運転課のダイヤ担当者が次のように述べている。

当社はダイヤ作成機等を持っていないため,運転曲線も,京成電鉄の本社で機械をお借りして作成しています。東日本大震災のときには,電力供給の関係で運転速度を下げるための検討をしたのですが,早急に作成しなければならず,京成電鉄に行く時間もないので手書きで対応しました。勉強にはなりましたが,苦労したのを覚えています。

ダイヤの骨組は京成電鉄で作成していただき,その後,手書きでスジの調整をすることになります。自社に機械があれば,いろいろな検証をしたりしたいのですが,それができないところが難点です。

私もそうでしたが,課長補佐が京成電鉄に運転曲線を引きに行くときに同行して,ほんの数時間で機械操作を覚えなければいけなくて,そしてまた大分期間が空いてから機械を操作しに行くので,いまだにうろ覚えで,怪しいところもありますが,教わるにも,教えるにも,ちょっと条件は悪くて苦労しています。

(「中小民鉄ダイヤ担当者のよもやま話」「運転協会誌」2016年6月号)

京成様式の列車運行図表は,今日までに幾度か様式に変更が加わっている。そもそもコンピュータ作図となる以前においては,「スジ」や列車番号は手書きであり,凡例等は明朝体で植字されていたが,コンピュータ作図となった際に丸ゴシック体で印刷されるようになった。さらには単色刷りからフルカラー印刷となって列車種別の判別が容易になったり,近年では社名のみならず北総ロゴマークの印刷も加わったりした。また,シリアル番号の付与によって管理面での強化が図られたり,かつては最初の一山程度にしかなかった折り目が全体に印刷されるようになって作業性の改善が図られたりもしている。

自社制作中止に伴い表紙を上貼りするようになったNo.118-2ダイヤ

△自社制作中止に伴い表紙を上貼りするようになったNo.118-2ダイヤ

2022年2月26日施行のNo.118ダイヤからは,乗務員や駅等に配布する列車運行図表における自社ダイヤの制作が再び取りやめられた。京成電鉄の列車運行図表を代用している点は以前と同様であるが,別途用意された北総用の表紙を上貼りすることで対応しているという。

北総線ダイヤ番号対照表

改正日北総
(新京成式・平日)
北総
(新京成式・休日)
北総
(京成式)
公団
(平日)
京成備考
1979.03.09No.1――――北総No.1は平休共通ダイヤ
1981.11.14No.2No.2――――
1984.03.19No.3――No.1
1985.11.30No.4――No.2
1988.02.05No.5No.3――No.33種事業者化で公団No.3を最後に公団ダイヤ廃止
1988.12.04No.6No.4――――
1991.03.19――――No.143
1991.03.31No.7No.5No.101――
1991.08.07No.8No.6No.101-2――No.143-2北総No.8を最後に新京成式ダイヤ廃止
1992.04.01――No.144
1992.07.08――――No.102――北総No.102~No.104は採番のみ
1992.07.17――――――No.144-2
1992.12.03――――――No.144-3
1993.04.01――――No.103――No.144-4
1994.04.01――――No.104――No.145北総No.104携帯版はNo.145誤記
1995.04.01――――No.105――No.146
1996.07.20――――No.106――No.147
1997.10.04――――No.106-2――No.147-2
1998.11.18――――No.107――No.148
1999.07.31――――No.107-2――No.148-2
2000.07.22――――No.108――No.149
2001.09.15――――No.109――No.150
2002.10.12――――No.110――No.151
2003.07.19――――No.110-2――No.151-2
2004.10.30――――No.111――No.152
2005.10.02――――No.111-2――No.152-2
2006.12.10――――No.112――No.153
2007.12.02――――No.112-2――No.153-2
2009.02.14――――No.113――No.153-3
2010.05.16――――No.114――No.154
2010.07.17――――No.115――No.155
2012.10.21――――No.116――No.156
2013.10.26――――No.116-2――No.156-2
2014.11.08――――No.116-3――No.157
2015.12.05――――No.117――No.157-2
2016.11.19――――No.117-2――No.157-3
2017.10.28――――No.117-3――No.158
2018.12.08――――No.117-4――No.158-2
2019.10.26――――No.117-5――No.159
2022.02.26――――No.118――No.160
2022.11.26――――No.118-2――No.161
2023.11.25――――No.119――No.161-2