2012年3月11日公開・ 最終更新
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震は本邦に甚大な被害をもたらしたが,北総線とその沿線地域においても少なくない影響を及ぼした。本稿は一連の地震災害による北総線の状況について,当時の記録をもとに再構成し紹介するものである。なお,本稿はあくまで記録の整理を図ったものであり,災害に対する考えを示すものではない。
※本稿は,2012年3月11日に公開した「東日本大震災当時の北総線」に写真の追加及び追記を行ったものである。
3月11日
地震があったのは,年度末の沿線設備調査のため白井駅付近を徒歩で移動している時だった。この日は第1337N列車(普通印旛日本医大行)で白井駅に移動し,調査地点まで徒歩で移動する計画としていた。強い揺れの後,身の安全を確保して可能な範囲で沿線の状況確認を行うこととした。
15時20分:白井駅
まずは最寄の白井駅に戻り,状況確認を行った。駅構内の停電はなかったが,揺れによって天井の点検口が開く,ショーケース内の展示物が倒れる,自動販売機や自動券売機が動くなどの被害が認められた。
また,安全確認のため全線で運転見合わせとなるなかで,自動券売機や自動改札機は締切られ,ラッチ内への入場はこの時点から不可能となった。発車標には地震発生時点の列車が表示されていたが,結局当日これらの列車に乗車することはできず,翌日の運転再開を迎えることとなった。
15時35分:西白井・白井間
白井駅の起点方にあるNT第7道路橋に移動し,線路設備や電気設備の状況を確認した。該道路橋から見える範囲で鉄道施設の目立った異常は認められず,白井駅下り場内相当となる下り第173閉そく信号機も正しく現示していることを認めた。なお,確認中も余震とみられる地震が続いていた。
15時40分:白井駅
地震発生から約1時間が経過したこともあり,白井駅に戻って運転再開予定の確認を試みた。ところが,「駅構内への立入見合せ中」と記された黒板が新たに設けられるなど状況は厳しく,運転再開の予定は確認できなかった。
こうした状況をふまえ,地震発生時点で列車が緊急停止していることを前提として現時点の状況を予測し,その確認を行うこととした。携帯していた自作の列車運行図表によれば,地震発生時点ではほとんどの列車が駅に停車していたが,第1337N(普通印旛日本医大行)については小室・千葉ニュータウン中央間を走行中であったことから,該列車のみ駅間で停車している可能性が考えられた。
16時00分:小室・千葉ニュータウン中央間
小室・千葉ニュータウン中央間を走行中だった第1337Nは,谷田高架橋を渡り終えた直後の地点に停車していた。乗客は最寄駅まで誘導済みで,車両は集電装置を降下した状態で留置されている様子が認められた。
16時15分:千葉ニュータウン中央駅
千葉ニュータウン中央駅では第1460Kとして3798編成が停車していた。該列車も第1337Nと同様に集電装置を降下させ,乗客の降車誘導を済ませていた。
16時40分:印西牧の原駅
印西牧の原駅はシャッターを下ろし閉鎖されていた。駅舎のカーテンウォール(半円形の窓になっている箇所)のガラスが数枚割れている様子だったが,さらに中央のシャッターが降下状態で故障していたことも後に判明した。
16時50分:車両基地
車両基地には第1279Hで入庫したばかりの604編成をはじめ数編成の車両が留置されていた。本線上の列車と異なり,車両基地の留置車はいずれも集電装置を降下せずに平時と変わらぬ様子で留置されていた。
17時00分:印旛日本医大駅
印旛日本医大駅を前に鎌苅北交差点で初めての停電を認めた。付近の道路交通は混乱状態にあった。
印旛日本医大駅はシャッターを開けていたが,他駅と同様に駅構内への立入りはできなかった。該駅でも自動販売機が動くなどの被害が認められた。
終点方の引上線には,折返し第1528Nとして入換中の7318編成が留置されていた。該車両もやはり集電装置を降下させている様子が認められた。
印旛日本医大駅での確認後,施設社員によるATカートでの線路巡視を認めた。日没により暗くなり始めていたが,その後も車両基地入出庫線など複数の箇所で巡視中のカートを認めた。
18時:千葉ニュータウン中央駅
帰宅時間帯を迎え,千葉ニュータウン中央駅にはニュータウンに勤める利用者が集まり始めていた。いわゆる帰宅困難者となった彼らがシャッター前に列をなす一方で,ヘルメット姿の駅社員が拡声器を手に避難を呼びかけていた。
当日深夜
日没により目視での状況確認が難しくなったことから,当日の確認は千葉ニュータウン中央駅で終了し,以降は報道による情報収集に努めた。
しばらくして列車の走る音を認めたため,白井駅に移動し状況確認を行ったところ,本線上に留置されていた車両を使用した確認列車(試運転列車)の運行を認めた。確認列車は複数運転され,最終的に第1327H充当車両を除く全ての車両を確認することができた。
3月12日
発災翌日の3月12日6時ころ,北総線は全線で運転を再開した。ただし列車は押上・印旛日本医大間での運転となり,全区間で45km/hの徐行という制約の上での再開だった。運行時隔は約20分間隔。他社局線内に足止め状態となっていた車両は順次北総線に戻されたが,変則的な運行となったことから所定ダイヤに存在しない列車番号を名乗る列車も数多く運転された。帰宅困難者による混雑は運転再開後もしばらく継続した。
3月中旬
この間の運転状況ダイジェスト
13日は運休なしの休日ダイヤ(平常通り)で運転されたが,同日深夜に計画停電に関する情報が発表されたため,翌14日は日中一部時間帯で運休する暫定ダイヤで運転された。14日の運転状況は,始発~9時までは押上・印旛日本医大間20分間隔,9~17時運休,17時~21時頃まで押上・印西牧の原間15分間隔,それ以降は押上・印旛日本医大間15分間隔で運行。15日は押上・印旛日本医大間を終日15分間隔で運転した。
16日以降,鉄道の運行に必要な電力供給が確保されたとして,当面の間は土休日ダイヤで運行することが決定した。
電力不足の懸念により平日においても土休日ダイヤで運行せざるを得ない状況となった。ところが,出勤再開など少しずつ社会が平時に戻り始めていたなかで,土休日ダイヤでの運行は輸送力の欠如を露呈した。それは他社線からの慢性的な乗入れ遅れとして顕在化し,これに伴う運用調整が日常となった。
損傷した駅設備の応急処置や調査も行われたが,これらの本格的な復旧は次年度以降に持ち越された。
3月下旬
この間の運転状況ダイジェスト
不足する輸送力への対策として,3月28日からの平日に限り一部列車の増発を含む特別ダイヤが編成された。京成線内では,京成高砂から普通京成上野行となる通勤特急京成高砂行(第6S94列車)や,特急羽田空港行(第780K列車)が設定された。都営線内では,一部北行列車の浅草橋・押上延長運転(53K・23Nほか)が行われた。
なお,ほくそう春まつりは中止となり,車両に掲出していたヘッドマークは順次撤去された。都心直通20周年を記念して各駅で行われる予定だった写真展も中止された。
3月28日からの特別ダイヤにおいて,都営線内で増発された列車には北総車を使用する列車が含まれていた。これは所定泉岳寺行の第723Nを押上まで延長運転するもので,23N運行は第723N押上から折返し第822Nb(普通西馬込行)となり,馬込車両検修場での留置を経て,第1822N泉岳寺場面から所定の運用に戻るというものだった。一方で,第723Nの所定折返し列車となる第822N以降には,同じく増発列車として設定されていた97T運行の東京都所属車両を泉岳寺場面で仕立替し,第1822N泉岳寺場面まで所定の23N運行により運用された。なお,馬込車両検修場における北総車は3番線に留置されるのが所定とされた。
北総線内では,節電への対応として,自動券売機や自動改札機など営業機器の一部使用停止や,車内冷房温度設定の全車両弱冷房車化,車内の蛍光灯の間引き,日中時間帯における駅構内・車内の照明の消灯などが始まった。
京成線内では,京成本線の罹災状況により,宗吾参道発着の試運転列車の行路が変更された。当時,定期検査のために7268編成が震災直前に宗吾へ入場していたが,該編成の検査出場に伴う試運転列車は,所定の八千代台・宗吾参道間ではなく,京成佐倉・東成田間で運転された。
4月1日には4日以降の新たな運転計画が発表された。4日以降,平日の施行ダイヤは平日ダイヤに戻されることが決定したが,新鎌ヶ谷・印旛日本医大間で夜間の一部列車を運休する「節電ダイヤ」(災害臨時ダイヤ)の始まりだった。
4月4日:節電ダイヤの開始
4月4日から施行された節電ダイヤにおいては,「東京電力の計画停電に伴う節電対策」という名目で平日ダイヤの一部列車において運休や運転区間の変更が発生した。その運行ダイヤは前年2010年7月に施行されたダイヤ(No.115ダイヤ)を踏襲しながらも,以下の点が異なっていた。
運休
- 平日25N(2)運行の1往復(第1624N~第1725N)を運休
運転区間変更
- 平日第1739N(普通印西牧の原行)を印旛日本医大まで延長運転
- 平日第1551Tb・第1831N(普通印西牧の原行)を新鎌ヶ谷行に変更(新鎌ヶ谷・印西牧の原間運休)
- 平日第1740T・第1938N(印西牧の原始発普通西馬込行)を新鎌ヶ谷始発に変更(新鎌ヶ谷・印西牧の原間運休)
なお,これらの変更により車両運用の取扱いは以下のようになった。
- 第1624Nの出庫は取り止め,第2030Nで出庫する
- 第1551Tbは新鎌ヶ谷到着場面で第1740Tとして折返し
- 第1831Nは新鎌ヶ谷到着場面で第1938Nとして折返し
- 第1739Nは印旛日本医大到着場面で第1924Nとして折返し
- 第841Tで入庫した東京都所属車両は第1850Tとして出庫
このほか,第1938Nの折返しの都合で第1811T(急行印旛日本医大行)は新鎌ヶ谷発着ホームを所定3番線から4番線に変更された。
南行の新鎌ヶ谷行は2010年7月改正まで定期列車で設定があったものの,北行の新鎌ヶ谷行の設定は震災ダイヤが初であった。また,新鎌ヶ谷のホーム増設によって3番線発の上り列車はなくなったが,約3年半ぶりに3番線からの上り列車が復活した。
節電ダイヤで設定された2本の新鎌ヶ谷行は,いずれも京急線内では京成高砂行として案内され,都営線内から新鎌ヶ谷行として案内された。
節電対策はアクセス線関係でも実施され,スカイライナーにおいては一部列車の減便のほか,最高速度を130km/hに制限して運転された。アクセス線については幾度か検証が行われていた模様で,6月15日にはAE23運行でAE7編成を使用した試運転列車が印西牧の原・成田空港間で2往復設定されたほか,同25日には15K運行で3056編成を使用した試運転列車が京成高砂・成田空港間で4往復設定されている。
また,京成本線内の罹災状況や節電を勘案して京成佐倉・宗吾参道間の回送列車の一部が運休となったことに伴い,京成所属車両の車両運用にも変更が発生した。とりわけ,3050形においては前年2010年7月の営業運転開始から一貫してアクセス線一般特急運用に用いられ,京成本線の一般車運用には使用されてこなかった(数回の実績があるのみだった)が,本件を機に京成本線の一般車運用で用いられる機会が日常となっていった。そして,アクセス線においてもアクセス線一般特急運用に3000形や3700形といった予備車両が用いられる機会が日常化し,約半数がこれら予備車両による運転という日も見られるようになった。この時期から顕在化していったアクセス線専用車両の運用における考え方の形骸化は,3050形の後継となる3100形の導入によりアクセス線一般特急車両が7編成体制となるまで根本的な改善はなされなかった。
ところで,当時の北総線においては,3月に都心直通運転開始から20周年を迎えることから写真展の開催や記念乗車券の発売などが計画され,それらの一部は広報誌「ほくそう」やプレスリリースにより発表されていたが,いずれも震災の影響により中止または延期となっていた。3月26日に計画されていた「ほくそう春まつり」も都心直通20周年を銘打ったもので,開催にあわせ臨時列車「ほくそう春まつり号」の運転が押上始発で計画されていたが,いずれも中止となった。しかし,「ほくそう春まつり」の開催にあわせた発売が準備済みであった記念乗車券については,ポスターの一部修正を行い(当初のポスターから「ほくそう春まつり」での先行発売がある旨や3月31日から発売開始する旨の告知が削除された),この時期に発売された。
また,震災で甚大な被害を受けた鉄道事業者4社(阿武隈急行,鹿島臨海鉄道,三陸鉄道,ひたちなか海浜鉄道)への支援として,北総を加えた5社合同乗車券「5社スクラムきっぷ~鉄路は未来へとつづく~」が5月28日に発売された。合同乗車券は社員発案による鉄道事業者支援の取組みで,各事業者に乗車券分の売上金を配分するものだった。とりわけ,当時運転再開の見通しが立っていなかった三陸鉄道については,その後も北総との共催により「三陸鉄道復興応援写真展」が秋に開催されるなど復興支援の関係が継続し,同線の全線運転再開の際には各駅にポスターが掲出された。
6月27日:節電ダイヤの緩和(夏季節電ダイヤの施行)
4月4日から施行された「節電ダイヤ」は,経済産業省により原則15%の節電目標を課した電力使用制限令が課されたことを受け,内容の見直しが図られた。新たな節電ダイヤは6月27日から9月22日までの間に施行されるものとして発表され,4月4日の節電ダイヤで削減された一部列車で復活運転を行うなど列車運行については制限の緩和が図られたものとなった。
- 第1624N~第1725Nの1往復を復活運転する
- 第1739Nの印旛日本医大までの延長運転を取り止め,所定の印西牧の原行とする
つまり,第1725N(快速/急行印旛日本医大行)の復活運転により,その代わりとして印旛日本医大まで延長運転していた第1739Nを所定通り印西牧の原止まりとするという内容であった。これにより,第1739N~第1924Nの運行替は取り止めとなり,平日25N(2)運行は所定通り第1624Nから出庫するようになった。また,第2030Nは第1739N印西牧の原着場面で運行替されるようになり,該列車の使用車両は第2030Nまで第1739N印西牧の原着から同3番線で1時間ほど留置された。
なお,新鎌ヶ谷以北を運休としていた上下各2本の列車(第1551Tb~第1740T,第1831N~第1938N)については,運休対応を継続した。
節電対策の一環として3月から行われてきた日中時間帯の客室内照明の消灯については,電灯回路の都合により連動して前照灯が消灯してしまうことから,前照灯を点灯させたまま客室内照明の制御を可能とする電灯回路の変更工事が順次施工された。
また,全車両が弱冷房車となっていた車内冷房温度設定については,夏期を前に7月12日付で所定の設定に戻された。
罹災した設備の復旧はこの時期から順次行われ,年度内に大半の設備が復旧した。また,8月には節電の一環として矢切駅のホーム照明がLED化された。
震災から半年にわたって続けられた節電対策は,電力使用制限令が9月9日をもって終了することから,同日での終了が告知された。節電ダイヤは同日で終了し,半年ぶりに通常の運行ダイヤでの運行が始まった。
駅や車内照明の消灯,営業機器の使用停止といった取組みも順次見直されていった。しかし車内照明が復原されたのは2014年度,営業機器についても2012年度までは夏冬を中心に使用停止が続けられるなど,震災に端を発する節電対策の終了には,告知以降も長い時間を要した。