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創立45周年記念 北総線ヒストリー・アーカイブ「北総線45年のあゆみ」

1970年代:ニュータウンに大志を抱き

1972
(昭和47年)
3月1日 都市交通審議会 第15号答申をまとめる
…東京1号線,10号線の千葉ニュータウン延伸が盛り込まれる
15号答申をうけ,葛飾区鎌倉地区で「北総鉄道問題」おきる
…葛飾区議会 北総線の区内地下方式建設を全会一致で決定
4月28日 東京1号線延伸区間の鉄道事業者として,北総開発鉄道株式会社が創立される
※英表記:Hokuso Rapid Railway
5月10日 北総開発鉄道株式会社 設立
本社:東京都墨田区押上1-10-3,事業所:東京都墨田区業平2-14-5
5月 北総開発鉄道「鉄道プロジェクト会議」はじまる(〜1975年4月)
8月 北総開発鉄道「用地部会」はじまる(〜1975年2月)
8月7日 京成高砂〜小室間の地方鉄道敷設免許を申請
1973
(昭和48年)
2月1日 北総第1期線(北初富〜小室間)の鉄建公団工事対象(P線)認定をうけ,
北総開発鉄道 第1期線建設工事について,鉄建公団と工事協定締結
10月4日 運輸省 千葉ニュータウン通勤新線2者(北総・県営)に地方鉄道敷設免許交付
北総開発鉄道 京成高砂〜小室間(19.75km)の鉄道敷設免許を下付される

県に追いつき追い越せ

大都市圏でのニュータウン開発が盛んだったこのころ, 郊外ニュータウンへの鉄道整備の必要性が問われ,先の15号答申がまとめられました。 先行して開発が進んでいた多摩ニュータウンを参考に, 計画人口規模と需給を比例させ,千葉ニュータウンには1号線と10号線の2線を計画。 前者は京成資本による北総開発鉄道として,後者は県と都によって事業化されました。
自社の「なわばり」である北総地域にかける京成のプライドと, 自らの県営ニュータウン計画に我田引鉄を実現したい県のプライド。 このころの両者は自らのプライドをかけ,一日でも早い開業を目指し,日夜努力を続けました。
10月11日 北総第1期線(北初富〜小室間)の地方鉄道工事施工認可を申請
→11月10日 地方鉄道工事認可を取得
1974
(昭和49年)
3月 「千葉ニュータウン関連鉄道の整備に係るニュータウン開発者の負担等に関する協定」締結
12月20日 北総開発鉄道第1期線起工式(鎌ケ谷市内)
建設工事に着手(〜1979年2月)
1975
(昭和50年)
2月10日 千葉県営鉄道北千葉線起工式(千葉県文化会館)
9月1日 宅地開発公団発足
…大規模宅地造成に特化し,公団による鉄道の整備・運営も可能に
1976
(昭和51年)
3月 北総開発鉄道「営業プロジェクト会議」はじまる(〜1977年4月)
10月 北総開発鉄道「車両専門家会議」はじまる(〜1977年12月)
1977
(昭和52年)
7月 北総開発鉄道「車両設計会議」はじまる(〜1978年3月)
北総開発鉄道「総合工程会議」はじまる(〜1978年6月)
8月 北総開発鉄道「デザインポリシー検討委員会」はじまる(〜1978年3月)
北総開発鉄道副社長 千葉県知事川上紀一と会談
…県営鉄道の事業中止と,代わりに北総への出資,役員派遣を提案
→1978年度より千葉県出資による第三セクター鉄道となる

ニュータウン新線としての理想

地域に愛される鉄道を――開業に際して北総が追い求めた理想は, 清新で快適であるとともに,地域に根づくことのできる鉄道像でした。 そして,開業に向けて準備が進められていくなかで, この年の8月,北総は「デザインポリシー検討委員会」を組織。 学識経験者や一般利用者を交え,駅名や車両のデザイン,案内サインの形状, ときには機器の配置や操作性など,あらゆる項目について検討しました。 「ナール」によるサインシステムや,青色をベースとした車両外環の色彩も このときの検討委員会によって決められたものでした。
10月17日 第2期線(高砂〜新鎌ヶ谷間)の工事施工認可延長を申請
→10月31日 運輸省認可(期限:1979年度末)
11月16日 運輸大臣 成田新高速鉄道構想を発表(東京〜越中島〜押上〜高砂〜印旛〜成田空港)
1978
(昭和53年)
1月20日 千葉県・宅地開発公団 県営鉄道事業の一部(小室〜印旛松虫間)譲渡を協定
4月7日 宅地開発公団 千葉県より小室〜印旛松虫間の免許・施設を譲受
11月以降 7000形車両の搬入を開始

「ホクソー・ラピッド」が走り出した日

開業準備も佳境となった1978年の暮れ, いよいよ7000形車両が西白井検車区に搬入され始めました。 主任技術者として北総を率いた黒岩源雄氏は,後に当時を振返り,次のように記しています。
「新設計の電車が、仮車庫で整備を終えてはじめて本線上に徐行で姿を現わした時に、 線路横で棚垣を結っていた建設会社の下請けの作業者の中から期せずして“万才”の声が湧き起こったときは、 工事に関係した1人1人がこの鉄道にかけた夢を肌で感じられ、 終生忘れえないシーンであった。」 (『鉄道におけるトータル・デザイン・ポリシー ――北総開発鉄道における具体的展開――』より)
このほかにも,黎明期の北総に対する鉄道マンたちのエピソードは事欠かず, この年の2月には,当時のポリシーを歌った「北総開発鉄道の歌」が社員らによって作られています。
1979
(昭和54年)
2月7日 北総開発鉄道 運賃申請(初乗り110円)
2月 北総開発鉄道第1期線(北初富〜小室間)工事竣工
…同月より試運転はじまる
3月8日 北総開発鉄道開業記念式典(小室駅)
…祝賀列車(新鎌ヶ谷信号所〜小室間3往復・祝3〜祝8列車)運転
…鉄建公団より施設所有権を譲受(譲渡額:約204億円)
3月9日 北総開発鉄道第1期線(北初富〜小室間)開業
…新京成電鉄との相互直通運転を開始(松戸〜北初富間乗入れ)
白井地区街開きに伴い,白井駅を全時間帯で有人駅とする

無人駅からはじまった白井駅

千葉ニュータウンの鉄道開業時期は,県の意向もあって,街開きと同時に行われました。 北総は,かねてより街開き後,人口定着してから鉄道を開業させたいとしてきましたが, 「鉄道が先か,街が先か」の議論は平行線をたどったといいます。
この年の3月,西白井,白井,小室の各駅の開業にあわせ,西白井と小室地区が街開き。 北総線と千葉ニュータウンは同時にスタートを切りました。 しかし,白井地区では公団住宅の入居が8月にずれ込んだため, 開業当初の白井駅は一部時間帯で無人駅でした。
なお,街開きまでは公共水道が使用できず, 開業前の北総線では,タンクローリーで水を運んで試運転に臨んだそうです。
10月25日 第2期線(高砂〜新鎌ヶ谷間)の工事施工認可延長を申請
→10月27日 運輸省認可(新期限:1980年度末)

1980年代:困難を乗り越えて

1980
(昭和55年)
8月10日 鉄道友の会 7000形を1979年度ローレル賞に選定
…同日受賞記念式典(小室駅)・記念列車運行(7002編成)
日本サインデザイン協会 第14回SDA賞に北総開発鉄道を選定
…選定理由「美しく豊かなコミュニケーションと快適な環境を求めて」
1981
(昭和56年)
3月18日 運賃改定 初の運賃値上げ(16.8%・初乗り120円)
3月27日 高砂〜新鎌ヶ谷間の工事施工認可の再延長を申請
→3月30日運輸省認可(新期限:1982年度末)
3月末 累積赤字100億円突破 銀行団・自治体等による経営支援はじまる
10月1日 宅地開発公団・日本住宅公団の統合改組により「住宅・都市整備公団」発足
11月14日 北総線ダイヤ改正(2号ダイヤ)
…日曜日・祝日に休日ダイヤが導入される
1982
(昭和57年)
5月 第2期線(高砂〜新鎌ヶ谷間)の工事施工認可を申請
→8月31日運輸省認可(工事完成期限:1987年度末)
5月31日 「新東京国際空港アクセス関連高速鉄道に関する調査報告書」発表
…北総線をルートに含む「Bルート」が報告書内に盛り込まれる

2期線建設を救った空港アクセス鉄道

千葉ニュータウンの足として開業した北総1期線ですが,続いて予定していた2期線の建設は, 自社の経営悪化に加え,ニュータウンの入居率低迷により,目処が立たない状況でした。 この調査報告書は,そんな最中に発表されたもので, 北総線はこれにより「空港アクセス線候補生」という将来の可能性を見出されました。 これがお墨付きとなり,北総2期線の建設にGOサインが出されたのです。
葛飾区 北総第2期線建設着手に際して交通対策特別委員会を設置
…葛飾区内の建設を高架方式とする北総側との技術論争がはじまる

技術論争となった「北総鉄道問題」

葛飾区内の建設方式をめぐっては,北総・鉄建公団は当初より高架方式を表明し, 一方の葛飾区側は,緑地保全や住環境整備を理由に地下方式での建設を要請してきました。 北総・鉄建側は,「矢切方の線形をふまえて江戸川を渡河するには,葛飾区内地下建設は技術的に不可能である」として, 葛飾区側の要請を断ってきました。この「技術的に不可能」であるかどうかが問題の争点となり, 両者は長い間技術論争に身を投じ,2期線建設は停滞することになります。
1983
(昭和58年)
1月31日 運輸省 北総第2期線を鉄建公団工事対象(P線)に認定
→2月17日鉄建公団と工事協定締結
2月23日 第2期線(高砂〜新鎌ヶ谷間)の工事着手届を提出
3月17日 運賃改定 平均10.3%値上げ(初乗り130円)
北総第2期線用地買収開始(約14万平方メートル)
11月24日 住宅・都市整備公団鉄道2000形入籍
→同月末より試運転開始
1984
(昭和59年)
1月19日 住宅・都市整備公団鉄道2000形 新京成線内初入線
…新京成〜北総〜公団3者による運行体系が確立
3月19日 住宅・都市整備公団鉄道第1期線(小室〜千葉ニュータウン中央間)開業
同日ダイヤ改正(北総3号ダイヤ・公団1号ダイヤ)
…北総開発鉄道・新京成電鉄との3者相互直通運転を開始
…同日より公団2000形の営業運転を開始(北総管理委託)

短命だった公団独自様式

鉄道事業法による運営がなされる以前の公団線は, 運行や車両保守などこそ北総に委託していたものの, ダイヤグラムや乗車券類は公団独自の様式が存在していました。 画像は開業間もないころの公団線様式の補充券で, 左上に「(住宅都市公団)」の文字を見ることができます。
7月18日 北総開発鉄道第2期線起工式
…紙敷・秋山・栗山の各地区にて工事着工
11月 「新東京国際空港アクセス関連高速鉄道」にBルート案が採択される
1985
(昭和60年)
3月20日 運賃改定 平均9.4%値上げ(初乗り150円)
3月末 経営悪化が深刻に
→第2期線全面開業を断念し,高砂〜北国分間の単線開業方針を固める(他区間凍結)

「開発鉄道」の壊れた両輪

経営悪化が深刻化したこのころ,北総は経営支援の条件として,事業の見直しを迫られました。 代償として決断したのは,不動産事業の廃止(1990年度撤退)。 北総にとって,不動産事業とは鉄道事業と対をなす社業の両輪であり, 不動産事業で開発した沿線に鉄道を通すことをモデルとしていました。 北総開発鉄道の「開発」とは,まさに不動産事業による沿線開発を示したもの。 悲願の都心直通の代償は,社名に背くほどの大きな決断となりました。
7月11日 運輸政策審議会 目標年次2000年の鉄道整備構想を答申(第7号答申)
→北総線・公団線を延伸した成田空港アクセスルートが「整備すべき路線」に盛り込まれる
11月30日 ダイヤ改正(北総4号ダイヤ・公団2号ダイヤ)
…同日より北総線内8両編成の運転開始(新京成車両)
…列車番号記号「N」が使われ始める(「回」および「試」は廃止)
1986
(昭和61年)
2月7日 北総開発鉄道・鉄建公団 「北総鉄道問題」の交通対策特別委員会にて,葛飾区内北総線地下化は技術的に可能であると認める
→4月17日 葛飾区議会へ「北総鉄道問題」陳謝
→5月13日 葛飾区内陳情者にも「北総鉄道問題」陳謝
9月 公明党 葛飾区議会にて高架方式の建設容認派に転じる
葛飾区 北総線の区内高架方式建設の容認を採択

「北総鉄道問題」のゆくえ

この年の2月,北総と鉄建は葛飾区内の地下建設は可能であると認め, 長きに渡った技術論争は北総・鉄建側の敗北というかたちで幕を下ろしました。 しかし,いざ地下方式での建設に舵を切るかと思われたこの年の9月区議会で, 地下派だった公明党が高架派に転じ,高架方式での建設が容認されてしまいました。 区側との争いはこれで幕引きとなりましたが,反対派区民はこれに納得せず, 以降は反対派区民と北総・鉄建・区による紛争に変ぼうしていきました。
12月 北総・鉄建・葛飾区の3者間による環境保全協定を締結
1987
(昭和62年)
4月1日 鉄道事業法(昭和62年12月4日法律第92号)施行
同日地方鉄道法廃止
1988
(昭和63年)
葛飾区民と北総の間に北総線環境問題連絡調整委員会を設置
2月5日 ダイヤ改正(北総5号ダイヤ・公団3号ダイヤ)
3月11日 第2期線(高砂〜新鎌ヶ谷間)の工事施工期限の延長を申請
→3月29日運輸省認可(新完成期限:1990年度末)
3月18日 北総線直通の新京成車両から釣掛車が撤退
4月1日 鉄道事業法に則り,住宅・都市整備公団鉄道区間の事業区分を変更
…住宅・都市整備公団鉄道は同区間の第三種鉄道事業者となる
…北総開発鉄道は同区間の第二種鉄道事業者となる
路線名を2者で統一し「北総・公団線」に変更
公団区間発着の特定運賃制度を制定する
12月4日 ダイヤ改正(北総6号ダイヤ)
1989
(平成元年)
「北総鉄道問題」に対する環境対策内容が決定
対策を不服とした一部住民団体が鎌倉公園を不法占拠し抗議
その後自主退去するも,住民団体は建設工事の仮処分を申請

泥沼化する「北総鉄道問題」

この年の暮には技術的難所であった栗山トンネルが貫通するなど, 2期線建設工事が佳境を迎えていたこの頃にあっても, 「北総鉄道問題」は泥沼化し,葛飾区内の建設工事は一向に進められない状況でした。 10を超える反対派住民団体との交渉は難航し, 鎌倉公園は過激化した住民団体による抗議活動の場となりました。 紛争から30年を迎える鎌倉公園付近には, 厳重な防音壁に囲まれた高架橋や,当時の反対派による看板など, 紛争の痕跡が今も色濃く残されています。
1990
(平成2年)
1月8日 運賃改定 平均6.8%値上げ(初乗り160円)
11月以降 北総・公団車両を増車・8両編成化
「北総鉄道問題」に対する環境対策内容の強化
住民団体による仮処分申請の取り下げ
「北総鉄道問題」が妥結に至る

1990年代:都心直通運転の開始

1991
(平成3年)
1月28日 第2期線(高砂〜新鎌ヶ谷間)竣工
以降,習熟試運転・増備車両の回送搬入を開始
2月7日 1号線直通車両関係五者会議・第18回三者車両部会(現・車両部会)開催
…北総車両が一号線直通車両の一員として加わる
→3月15日 「1号線直通車両の申し合わせ事項改訂に関する確認書」締結
2月25日 北総・京成・都営・京急4者間で連絡運輸契約を締結
→2008年3月15日 新連絡運輸契約に切替え
北総線内の列車無線使用バンドを全線で「地下」に統一
3月30日 北総第2期線(高砂〜新鎌ヶ谷間)開業記念式典(東松戸駅)
…鉄建公団より施設所有権を譲受(譲渡額:約1141億円)
3月31日 北総開発鉄道全線開業
…千葉ニュータウン中央駅にて出発式挙行
ダイヤ改正(7号/101号ダイヤ)
北総・京成・都営・京急の4者相互直通運転を開始
…京成・都営車両の北総線内営業運転開始
…北総・公団車両の東京都・神奈川県内営業運転開始
7300形(2編成)・7150形(2編成)・800形(1編成)営業運転開始
運賃改定 平均7.4%の値上げ(初乗り170円)
…公団線特定運賃制度を廃止
同日付で不動産事業を廃止し,鉄道事業(旧・鉄道部)専業となる

800形の2期線区間入線

都心直通運転開始による所要車両数増加と,新京成との車両走行距離調整の兼ね合いから, この年より新京成直通電車専属の車両として新京成800形1編成を購入し,北総800形に改め導入しました。 その目的から,運行範囲は松戸〜千葉ニュータウン中央間に限られ, 一号線直通車両規格を満たさないため,地下鉄直通が基本となる都心方面への列車には運用されませんでした。 それゆえ,800形が2期線区間を走る機会はほぼありませんでしたが, 北総在籍中の定期検査後の試運転では,矢切までの入線を果たしています。
季刊誌「ほくそう」創刊

「北総線PR作戦」の展開

悲願の都心直通運転を果たした北総線でしたが,いざ蓋を開けてみると,利用者は想定の半分以下という悲惨な状態でした。 急遽,社内で利用者増加に対する取組みがはじまり,「北総線PR作戦」と題した利用誘致活動がこの年の夏以降展開されました。 社員総出での沿線へのチラシ配布にはじまり(91年6月),季刊誌「ほくそう」の創刊(3.5万部),都内小学校への遠足誘致(80校)など 考えうる限りの周知活動を行い,1992年度には前年度比35%の利用改善につなげています。 今では季節の風物詩となった「ほくそう春まつり」や「矢切ビールまつり」は,この一環としてはじまったものです。
8月7日 ダイヤ修正(8号/101-2号ダイヤ)
1992
(平成4年)
5月 北総・公団 公団2期区間(千葉ニュータウン中央〜印旛松虫間)鉄道事業免許(北総2種・公団3種)取得
7月1日 800形(1編成)を廃止(新京成電鉄に売却)
7月8日 ダイヤ改正(102号ダイヤ)
新京成電鉄との直通運転を廃止
→代替として7150形4両編成による区間列車を運行開始
暫定乗入線(北初富〜新鎌ヶ谷間)廃止

暫定乗入線の廃止以降の新京成線入線

この日,新京成線に新鎌ヶ谷駅が開業し,同駅が両線の接続駅となったことで, 北総線開業以来続いてきた新京成線との直通運転は廃止されました。
新京成との連絡線がなくなったあとも,公団車両はくぬぎ山車両基地での定期検査を実施するため, 高砂・津田沼経由で新京成線に姿を見せることがあり,後に登場する9100形も新京成線に入線経験があります。
また,それまで西白井検車区から新車を搬入していた新京成電鉄は, 連絡線廃止以降,初富駅付近の側線より搬入するようになりました。
7月 駅コンコースの無料貸出を開始
9月 公団2期線(千葉ニュータウン中央〜印旛松虫間)工事施工認可
11月27日 公団2期線1区間(千葉ニュータウン中央〜印西草深間)工事着工
1993
(平成5年)
4月1日 ダイヤ改正(103号ダイヤ)
…朝ラッシュ時間帯の急行運転(停車駅:新鎌ヶ谷以東各駅・矢切・新柴又・高砂)を開始
…京急車両の北総線内直通運転開始

性能試験・習熟試験による他社線出張

このころの1号線系統では,新たな車両が次々と登場し,直通網の拡大と合わせて,他社線での習熟試運転や性能試験が頻繁に行われました。
この日のダイヤ改正によって,日中の北総線内は6両編成主体のダイヤになったため,8両編成の北総車両は余剰となり, 5月13日には余剰の7300形を使用し,三崎口までのラジオ中継システム受信試験が行われました。
また,北総線内においても,新たに営業運転に就く3400形や1500形,600形などが習熟のために入線しています。
1994
(平成6年)
4月1日 ダイヤ改正(104号ダイヤ)
土曜・休日ダイヤの設定開始(土曜日も休日ダイヤになる)
公団2000形電車を9000形に改形式
→8月26日 公団車両の車両番号9000代化が完了
→1995年3月9日 第20回車両部会にて申し合わせ事項を改訂
7150形(7158以下4連)カラードア試験

カラフルなカラードア車両の登場

7150形として導入した16両中の8両は4両編成を2本繋げた編成だったため, 1992年7月以降は4両編成単独に分割のうえ,北総線内の区間列車に使用してきました。 このうち7158編成以下4連について,この年より両側面の側扉に全24色の装飾を施すようになりました。 この装飾は,後に7154編成以下4連にも側面を入れ替えるかたちで施され,カラフルな車両として話題を呼びました。
「コスモス」ヘッドマーク電車運行開始
11月以降 住宅・都市整備公団鉄道9100形電車(2編成)入籍
1995
(平成7年)
4月1日 公団第2期線1区間(千葉ニュータウン中央〜印西牧の原間)開業
ダイヤ改正(105号ダイヤ)
…北総線内最高速度を105km/hに向上
…夕ラッシュ時間帯の急行運転開始
住宅・都市整備公団鉄道9100形電車営業運転開始
運賃改定 平均10.0%値上げ(初乗り180円・通学定期割引率を56%に)

点在した将来の準備工事

北総線内のいくつかの駅には, 優等列車の運転を前提とした待避設備が設計に盛り込まれていました。 しかし,当時は待避を必要とする列車もなく,待避設備を本設したのは, 構造上後づけが難しい地下駅の矢切のみでした。
この日開業した印西牧の原駅も待避設備を計画に盛り込んでいた駅の一つでしたが, 供用されたのは将来の本線となる1番線と4番線だけ。 副本線の2番線と3番線は線路すら敷かれず,フェンスで覆われるのみでした。
このように当時の北総線には将来の蕾がいくつもつけられていましたが, それらがほころび,花開かせるまでにはまだ多くの時間を必要としていました。
「矢切ビールまつり」初開催
10月1日 7050形電車(8両)導入開始(京成電鉄より3150形リース)
1996
(平成8年)
「ほくそう春まつり」初開催
7月20日 ダイヤ改正(106号ダイヤ)
1997
(平成9年)
4月1日 運賃改定 平均1.94%値上げ(通学定期は据置きとし,割引率を60%に)
10月4日 ダイヤ修正(106-2号ダイヤ)
1998
(平成10年)
2月3日 7150形(1編成)を廃止し,7150形電車全廃
3月14日 JR武蔵野線東松戸駅開業
中高生向け企画乗車券「生徒諸君!夏休みきっぷ」発売開始
9月15日 運賃改定 平均10.1%値上げ(初乗り200円)
10月14日 印西牧の原駅 関東の駅百選(第2期)選定
…選定理由「アーチ型屋根の左右対称の駅舎で秋になるとコスモスに囲まれる駅」
10月24日 「ラーバンフェスタ1998」開催
臨時列車「ラーバン・コスモス号」運転(矢切〜印西牧の原間)

秋の風物詩だったコスモス電車と「ラーバン」

このころまだ何もなかった印西牧の原駅前には一面のコスモス畑があり, 毎年秋のコスモスのシーズンになると, 7000形に「コスモス」ヘッドマークを装着して運転することが恒例でした。
7000形と9100形は北総線の顔として宣伝に積極的な露出が図られ, この年以外にも何度か9100形によるラッピング電車が運行されました。
また,1990年代半ばには,Urban(都市)とRural(農村)の合成語であるRurban(ラーバン)が, 千葉ニュータウンのキャッチコピーとして度々使われました。 この「ラーバン・コスモス号」はもちろんのこと, 秋の1日乗車券だった「コスモス・ラーバンきっぷ」など,当時を象徴する単語の一つでした。
11月18日 ダイヤ改正(107号ダイヤ)
初詣・都心回遊用企画乗車券「ゆくくるきっぷ」発売開始
全駅への自動改札機導入を完了

進みゆく駅の改善

合理化の旗印のもと,1期線の開業当初こそ積極的に自動駅務機器導入を進めた北総でしたが, 2期線の駅は自動改札機を導入せず,開業後しばらくは有人改札で対応してきました。 再開発による宅地造成のあおりなどをうけ,2期線各駅の利用者は次第に増加。 この年,ついに北総・公団線全駅への自動改札機整備が完了しました。
導入された自動改札機は北総線の駅を青色,公団線の駅を濃灰色とし, 新京成線の改札口をもつ新鎌ヶ谷駅では,茶色(フラップのみ黄色)の同機種を新京成線用としていました。
また,増加する利用者にあわせ,1期線各駅や千葉ニュータウン中央駅では B階段・C階段と呼ばれる増設階段の設置や,ホーム上屋の延長,エレベータや車いす用昇降リフトの整備など 駅構内の設備改善が進んでゆきました。
1999
(平成11年)
3月 北総線開業20周年記念ヘッドマーク電車運転
開業20周年記念ビデオ付乗車券発売
7月31日 ダイヤ修正(107-2号ダイヤ)
北総車両が神奈川県内定期営業運転から撤退
10月1日 住宅・都市整備公団 都市基盤整備公団に改組
10月23日 「北総ウォーク」第1回開催(印西牧の原駅より小林・本埜方面,13km)
11月25日 東武野田線新鎌ヶ谷駅開業

東松戸駅・新鎌ヶ谷駅の結節点化

1998年の武蔵野線東松戸駅開業につづき,この年には野田線にも新鎌ヶ谷駅が開設され, 北総線の接続改善が図られました。 それまで長閑に畑が広がるばかりだった東松戸・新鎌ヶ谷の両駅は,これ以降, 結節点としての利便性を活かした開発が急速にすすみ, 今日の発展へとつながっていきます。

2000年代:「北総・公団線」から「北総線」へ

2000
(平成12年)
4月26日 9100形1編成を増備 北総車12本体制となる
7月22日 都市基盤整備公団鉄道全線開業(北総・公団線全線開業)
ダイヤ改正(108号ダイヤ)
…北総線内の全列車が8両編成に
都市基盤整備公団車両基地(印旛車両基地)供用開始
…西白井検車区を廃止
管区再編 白井駅をNT管区から西白井管区に編入
…矢切管区(新柴又〜東松戸),西白井管区(松飛台〜白井),NT管区(小室以東)とする

西白井検車区と新車の搬入

2000年7月,開業以来の暫定車庫であった西白井検車区が廃止されました。 かねてより手狭さが問題だった西白井検車区ですが, 周囲に広がる未利用地は車両新造時の陸路搬入に大いに役立ち, 北総車両はもちろんのことながら,一部の新京成車両も西白井から搬入された過去をもちます。 2期線開業の直前に導入した7300形や7150形は一足先に2期線を走って西白井へ運ばれましたが, 2期線開業後も公団の新造車両は引続き陸路で搬入されました。
西白井検車区の廃止直前,この年の4月に増備された9128編成は, 西白井検車区に陸路で搬入された最後の車両となりました。
10月14日 印旛日本医大駅 関東の駅百選(第4期)選定
…選定理由「森の中の駅舎をイメージして造られ駅構内無断差化などバリアフリーに配慮された斬新な駅」
ストアードフェア磁気カードシステム「パスネット」導入
…自社発行分パスネットに「ほくそうパッスルカード」名称を使用開始

「ほくそうパッスルカード」と記念乗車券事情

磁気カードによるストアードフェア(SF)システムが最盛期を迎えていたこのころ, 関東民鉄でも「パスネット」と称するSFカードが導入されました。 テレホンカードと同様,カードには自由に図柄が印刷可能で, 加盟各社局は,自社の広告宣伝媒体として様々な図柄のカードを発売しました。
北総では,「ほくそうパッスルカード」の愛称のもと, 「北総電車の走る街」シリーズ,「七福神」シリーズなどを通じて沿線紹介を行いました。 また,パスネットは記念乗車券媒体にもなり,当時の記念乗車券のほとんどがパスネットで発売されました。
2001
(平成13年)
3月 単年度黒字に転換
小学生向け企画乗車券「夏休み親子ッ子きっぷ」発売開始
9月15日 ダイヤ改正(109号ダイヤ)
…朝ラッシュ時間帯の特急運転を開始(停車駅:新鎌ヶ谷以東各駅・高砂)
…押上線内待避設備完成により,朝ラッシュ時間帯の北総線内区間列車を廃止
2002
(平成14年)
会社創立30周年
ヘッドマーク電車(7000形)運行や絵画コンクールを実施
4月25日 成田高速鉄道アクセス株式会社設立
7050形検査期限延長のため,京成電鉄より3400形(1編成)を貸借
10月12日 ダイヤ改正(110号ダイヤ)
10月16日 西白井駅定期券発売所を閉鎖し,新鎌ヶ谷に移転
このころまでに西白井管区を新鎌ヶ谷管区に改称,主管駅を新鎌ヶ谷に変更
2003
(平成15年)
2月1日 7050形に代わり,7800形電車を導入(京成電鉄より3700形をリース)
7月19日 ダイヤ修正(110-2号ダイヤ)
北総開発鉄道公式ウェブサイトを開設
「ほくそう電車教室」初開催

新たな夏の風物詩「ほくそう電車教室」

この年に始まった「ほくそう電車教室」は, 沿線小学生の自由研究に役立つような社会科見学・体験ツアーといった位置付けでスタートしました。 内容は都度変更されましたが,専用のヘッドマークを装着した臨時列車に乗り, 当時未整備だった新鎌ヶ谷駅の現上りホーム躯体での乗降, 矢切駅の地下避難通路や総合指令所,印旛日本医大駅展望台,印旛車両基地など, 普段は入れない場所の見学・体験が盛り込まれ, 応募倍率が4倍を超える夏の人気イベントとして定着しました。
「ほくそう電車教室」は2010年が最後の開催となり, 以降は公開箇所を車両基地に限定した「ほくそう車両基地まつり」として, 現在は秋に開催されています。
12月23日 7050形全廃に伴い「さよなら7050形」イベント実施
(矢切〜印西牧の原間臨時列車・印旛車両基地公開)

さよならイベントの開催

この年,1995年以来運行されてきた7050形電車が全廃され,7800形と7250形が代替に導入されました。 京急より中古車両を購入して導入した先代7150形と異なり, 7050形は京成より余剰車をリースにより調達し,検査期限のたびに新たな余剰車と交換してきたため, 導入総数は8年間で計5次32両におよびました。
また,引退車両に対する車庫内でのイベントは,それまで社内有志による小規模なものが行われるのみでしたが, 印旛車両基地の開設により,安全にイベントが開催できる環境が整ったことから, 7050形以降,印旛車両基地を一般に公開しての撮影会が行われるようになりました。
12月24日 7050形に代わり,7250形電車を導入(京成電鉄より3200形をリース)
2004
(平成16年)
3月16日 千葉ニュータウン鉄道株式会社設立
…本社所在地:東京都墨田区押上1-10-3
4月1日 「忘れものセンター」を開設(新鎌ヶ谷駅西口横)
6月22日 国土交通省 鉄道事業法に基づき,千葉ニュータウン鉄道株式会社による都市基盤整備公団の鉄道事業の継承を認可
7月1日 北総開発鉄道株式会社 北総鉄道株式会社へ社名変更
…本社所在地を東京都墨田区押上1-10-3から千葉県鎌ケ谷市初富928へ変更
千葉ニュータウン鉄道株式会社 公団鉄道事業を継承
…路線名を「北総・公団線」から「北総線」に再変更

開発をやめた北総開発鉄道

この年の7月,北総開発鉄道は北総鉄道へ社名を改め,新たな一歩を踏み出しました。 不動産からの撤退により,北総開発鉄道という社名は実態にそぐわないものとなりましたが, 社名変更に高額な費用が発生することから,このときまで保留とされてきたのです。
社名変更にかかる費用負担を極力安く抑えるため,公団の事業撤退に乗じることで, 北総単独での高額な費用負担を避けたばかりか, 新社名は「開発」を抜いただけ,新路線名も「公団」を抜いただけと, 変更の内容も費用負担を意識したものとなりました。
10月30日 ダイヤ改正(111号ダイヤ)
2005
(平成17年)
2月 成田新高速鉄道対策として社内に「特別工事部」を設置
4月1日 自治体助成による割引通学定期乗車券を発売開始

学生向け企画乗車券と割引通学定期券

この年,本埜村・印旛村居住の高校生を対象とした自治体助成通学定期券が発売されました。 後に印西市・白井市居住者も対象となったこの割引通学定期券は, 通学定期運賃の25%を自治体が助成するというものでした(実質割引率70%)。
北総線の高運賃が沿線居住者の負担となり,利用を妨げていることは, 社内でも十分に認識されていました。 とりわけ生徒・児童向けの補助は,社内委員会でも幾度となく検討がなされ, 夏休み中の中高生が小児運賃で利用できる「生徒諸君!夏休みきっぷ」や, 同趣旨の小学生版企画乗車券として小学生2名まで無賃で乗車可能な「夏休み親子ッ子きっぷ」などが発売されました。 また,通学定期券運賃も運賃改定時に値段を据え置くことで割引率を向上させたり, 端数の日数が発生してしまう学期ごとの購入にも対応した学期通学定期券の発売など, 生徒・児童への運賃補助を重視した施策がとられました。
5月 新社屋完成に伴い現本社へ移転(総務部・経理部・運輸部・技術部・企画室)
…事業所(旧・鎌ケ谷市初富929)を本社社屋内に統合
10月2日 ダイヤ修正(111-2号ダイヤ)
12月21日 成田高速鉄道アクセス線 工事施工認可
12月下旬 北総鉄道公式ウェブサイトでの運行情報リアルタイム配信を開始
2006
(平成18年)
2月以降 7500形電車(2編成)導入
→2月20日より営業運転開始(7501編成)
2月4日 成田新高速鉄道着工式
3月31日 7250形1編成を廃止し,7250形電車全廃
→4月1日 7260形電車(1編成)を導入(京成電鉄より3300形をリース)
12月10日 ダイヤ改正(112号ダイヤ)
2007
(平成19年)
3月18日 交通系ICカード乗車券「pasmo」サービス開始
3月25日 7000形全廃に伴い「さよなら7000形」イベント実施
→3月31日 7000形車両全廃
9月14日 印西牧の原駅構内の配線を改修
11月10日 新鎌ヶ谷駅上りホーム(2番線)供用開始
12月2日 ダイヤ修正(112-2号ダイヤ)
2008
(平成20年)
4月9日 新型スカイライナー車両「AE形」デザイン発表
4月19日 小室駅上りホーム(新1番線)供用開始
2009
(平成21年)
2月14日 東松戸駅上りホーム(新2番線)供用開始
ダイヤ改正(113号ダイヤ)
…特急・急行の停車駅に東松戸を追加
3月29日 開業30周年記念として「ほくそう春まつり」に合わせ「ほくそう春まつり号」運転開始

コスモス電車から春まつり号へ

1990年代末のコスモス電車は,北総線における季節の風物詩となりましたが, 2000年代に入ると,電車を使った季節的な宣伝は, 「ほくそう春まつり」ヘッドマーク電車に移り変わっていきました。
この年には,開業30周年を記念した「ほくそう春まつり号」が初運行。 京成上野から北総線方面へ向かう初の営業運転が実現し,話題を呼びました。 「ほくそう春まつり号」は,その後も車両や運転区間を変えて毎年設定され, 新たな風物詩として定着しました。
秋以降 連動駅構内の保安装置をC-ATSに順次更新
12月16日 成田新高速鉄道の愛称が「成田スカイアクセス」に決定

2010年代:空港アクセス路線として

2010
(平成22年)
3月14日 成田新高速鉄道(成田スカイアクセス)竣工
7月17日 成田新高速鉄道(成田スカイアクセス)開業
ダイヤ改正(115号ダイヤ)
…京成成田空港線列車(スカイライナー・アクセス特急)運行開始
運賃改定 自治体支援による平均4.9%の運賃値下げ(初乗り190円)
全駅に駅ナンバリングを設定(HS01:新柴又〜HS14:印旛日本医大)

成田スカイアクセス線が開業

この年,長年の夢であった成田新高速鉄道がついに開業し, 都心と成田空港を直結する「成田スカイアクセス」として運行を開始しました。 北総線はそれを構成する一路線として, 千葉ニュータウン地域の足だけではなく,空港輸送の要としての役割も担うようになりました。
成田新高速鉄道の開業にあたり,北総線では2004年度から社内に「特別工事部」を組織し, 待避設備の本設化や,線形改良など様々な準備工事を行なってきました。 多くの人々に育てられてきた高速鉄道の蕾が,ようやく花開いたのでした。
2011
(平成23年)
3月11日 東日本大震災罹災
…駅舎等の一部設備に損傷,以降も長らく節電対策がとられる
7月1日 北総鉄道公式ウェブサイトリニューアル
2012
(平成24年)
3月 旧・西白井検車区拡張部 用地整理
5月15日 矢切駅定期券発売所を閉鎖
→5月28日より当該箇所に「忘れものセンター」移転
5月26日 会社創立40周年 記念コンサートを開催(白井市文化ホール)
5月末 矢切管内(新柴又〜東松戸)主管駅を東松戸に変更
管区名を矢切管区から東松戸管区に改称
10月21日 ダイヤ改正(116号ダイヤ)
2013
(平成25年)
2月17日 千葉ニュータウン鉄道9200形電車を導入
→3月1日営業運転開始
4月 新白井変電所供用開始
9月 京成電鉄本社移転に伴い,千葉ニュータウン鉄道株式会社の本社所在地を変更
…新本社所在地:千葉県市川市八幡3-3-1
10月26日 ダイヤ修正(116-2号ダイヤ)
2014
(平成26年)
3月 全券売機を多機能型券売機に更新
…多機能型券売機の画面表示レイアウトを変更
全駅に運行情報ディスプレイを導入
4月1日 消費税率引上げに伴う運賃改定(初乗り200円)
…ICカード利用時の運賃(1円単位)を導入(IC利用時初乗り195円)
11月8日 ダイヤ修正(116-3号ダイヤ)
2015
(平成27年)
3月22日 7260形電車全廃に伴い「さよなら7260形」イベント実施
→23日 7260形電車(1編成)廃止
→24日 7800形電車(1編成)導入(京成電鉄より3700形をリース)
12月5日 ダイヤ改正(117号ダイヤ)
…夜間ラッシュ時間帯の下り特急運転開始
2016
(平成28年)
11月19日 ダイヤ修正(117-2号ダイヤ)
12月22日 北総鉄道公式ウェブサイトリニューアル
2017
(平成29年)
3月17日 9800形(1編成)を導入(京成電鉄より3700形をリース)
→23日より営業運転開始
3月22日 9000形全廃に伴い「さよなら9000形」イベント実施
3月31日 新柴又・矢切両駅に発車メロディを導入
4月28日 会社創立45周年
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