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公開日:2016年3月11日

運行記録:北総線における東日本大震災発生から復旧まで

2011年3月11日に発生した東日本大震災は北総線沿線にも多くの被害をもたらした。

この記事では,地震発生直後から節電ダイヤの終了まで,約半年にわたる震災復旧の記録を纏め,ダイジェストとして紹介している。

他記事においても同様であるが,この記事はあくまで「震災復旧」を主題とした記録であり,復旧に尽力した関係者や被災者への考えを示すものではない。

3月11日・地震発生直後

白井駅で第1337N列車を降り,しばらく歩いたところで地震が発生した。身の安全を確保した後,北総線の様子を確認すべく白井駅へ引き返した。

15時22分・白井駅

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駅に到着したが運転再開の目処はたっておらず,券売機は全て発売中止状態にされていた。そればかりか,揺れの大きさで券売機が手前に動いてしまい,枠が外れた状態が確認できた。

安全確認のため改札は止められており,日中時間帯にもかかわらず改札機は全てドアを閉じていた。ラッチ内を見ると,天井のハッチが開いたままであったり,ガラスケースに展示中の額が手前に倒れてきている様子が確認できた。当然発車標は地震発生直後の状態から進んでいなかった。「列車が遅れています」の表示が出ていたが,結局この日遅れたこれらの列車が到着することはなかった。


15時35分・西白井~白井

110311_173t線路の状況を確認しようと近くの跨線橋へ移動した。跨線橋上でも余震は容赦なく襲いかかり,揺れる橋の上で線路を確認する。駅もそうだったがひとまず停電の類は無さそうであったし,掘割の法面が崩れる等の被害も出ていなかった。安心するも,再開予定が気になり,ふたたび駅に戻ることにした。


 

15時42分・白井駅

110311_hs10_4駅に戻って再開の目処を訊く。先ほどは無かった黒板には「強い地震発生」「駅構内への立入見合せ中」の文字。テンプレートの紙すら使えぬ事態に深刻な地震であったことを知る。当日中の再開は難しそうな雰囲気であった。

 


不幸中の幸いというべきか,手元のダイヤグラムを確認すると,地震発生時点では殆どの列車が駅に停車していた。しかし,直前まで乗っていた第1337N列車は例外で,小室~千葉ニュータウン中央間で被災しているはずだった。これら列車の動向を確認すべく駅を出て,そのままの足で東へ向かった。

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△地震発生時点の北総線在線状況

15時58分・小室~千葉ニュータウン中央

国道をひた走ると,しばらくして車両の姿が見えてきた。予想通り第1337N列車は駅間で停車していた。国道はいつも通り車がひっきりなしに走っていた。その中でパンタグラフを下ろし佇む7308編成というのは,非日常的であり,異様だった。

すでに旅客は避難しており,車両は動き出す気配もなかったため,そのまま足を進めた。

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16時17分・千葉ニュータウン中央駅

千葉ニュータウン中央駅に到着すると3798編成の姿が見えた。第1460K列車として出庫した直後の被災だった。こちらもパンタグラフを下ろしており,駅構内含めて旅客の姿は無かった。

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16時38分・印西牧の原駅

暗くなり始めた空に警戒しながら到着した印西牧の原駅はシャッターを下ろしていた。特徴的だった駅舎の窓ガラスは割れており,さらに後で分かったことだが,一部のシャッターは歪み開かなくなっていた。

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16時50分・印旛車両基地

車両基地には第1279H列車で入庫したばかりの604編成をはじめ数本の車両が留置されていた。本線上の列車と異なり,こちらはパンタグラフを上げて通電していた。

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17時00分・印旛日本医大駅

ここまでは停電もなく,道路交通においては日常的な光景を目にしてきたが,印旛日本医大駅を目前にして信号機が動作していない状況を経験した。信号が点かず混乱する鎌刈北交差点を通過し,ようやく印旛日本医大駅に到着した。

ロータリーから印旛日本医大駅を望むと,駅舎内の自販機が動いている様子などが確認できた。また,引上線には第1528N列車として待機する7318編成の姿も見えた。

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17時2分・印西牧の原~印旛日本医大

ふと線路上に動くものが見えた。追いかけると,軌道の巡視をするATカートが確認できた。この時間帯には見ることのないものだ。その後もこのATカートを印旛車両基地入出庫線など様々な場所で目撃した。

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18時・千葉ニュータウン中央駅

千葉ニュータウン中央駅まで戻るとすっかり暗くなり,街には夜の帳が下り始めていた。明かりの灯る街に対し,車両は真っ暗なまま。コンビニを含め駅は閉鎖されていたが,シャッターの前には運転再開を待つ人の列ができていた。

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3月11日・深夜

帰宅後,テレビで震災の状況を確認し,翌日以降も混乱が続くことを予想し仮眠する。しばらくすると北総線が走っている音が聞こえたが,再開の一報はなく,不審に思い外に出る。

すると,矢切で足止めされていたはずの7808編成が試運転表示で下ってくるではないか。その後もひっきりなしに試運転列車が走り,線内で被災した車両のうち第1327H充当車を除く全ての車両を確認した。

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3月12日

昨日より運転見合わせが続いていた北総線は,6時過ぎに押上~印旛日本医大間で運転再開した。しかし,全線45km/hの徐行運転に加え,20分間隔という制約の下での再開となった。

運転再開直後から他線内に足止めされていた車両の返却が行われ,順次車両基地へ収容された。

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△732N:7308

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△751K(って何だ…):3408


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△830N:7502

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△991N:7503


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△951NK(意味不明):3052


3月中旬

この間の運転状況ダイジェスト

13日は運休なしの休日ダイヤ(平常通り)で運転されたが,同日深夜に計画停電に関する情報が発表されたため,翌14日は日中一部時間帯で運休する暫定ダイヤで運転された。14日の運転状況は,始発~9時までは押上~印旛日本医大間20分間隔,9~17時運休,17時~21時頃まで押上~印西牧の原間15分間隔,それ以降は押上~印旛日本医大間15分間隔で運行。15日は押上~印旛日本医大間を終日15分間隔で運転した。

16日以降,鉄道の運行に必要な電力供給が確保されたとして,全日で土休日ダイヤで運行することが決定した。

平日でも土休日ダイヤを施行したことにより,輸送力が欠如し,全線で慢性的な遅延が発生した。代走や打切りも日常化していった。また,損傷した駅設備の応急処置や調査も行われたが,本格的な修理は次年度以降に持ち越された。

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△57HK:3054

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△柱の巻き付けが損傷した新鎌ヶ谷駅


 3月下旬

この間の運転状況ダイジェスト

輸送力の補強として,3月28日からの平日に限り一部列車の増発を含む特別ダイヤが編成された。京成線内では,高砂始発の普通に化ける通勤特急高砂行(第6S94列車)や特急羽田空港行(第780K列車)が設定された。都営線内では,一部北行列車の浅草橋・押上延長(53K・23Nほか)が行われた。

また,ほくそう春まつりは中止となり,ヘッドマークは早々に剥がされた。

都営線内の増発列車には北総車担当列車が含まれていた。第723N列車(所定泉岳寺止)は押上まで延長され,西馬込行の第822Nb列車として折返し,馬込入庫に変更された。第723N列車の押上延長により,所定通り折返せなくなる第822N列車には,同じく増発列車として設定されていた97Tを泉岳寺で仕立替する形で都営車が充当された。

西馬込に収容された北総車は馬込区3番線に留置され,第1822N列車で都営車と車両交換し23Nに復帰していた。

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△723N押上行

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△822b西馬込行


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△馬込区に収容された北総車

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△日中の23Nを代走していた都営車


また,この時期は宗吾区発着の試運転列車の行路に変更が加わった。3月より検査のため宗吾区に入場していた7268編成は4月6日に京成線内での出場試運転を実施しているが,所定の出場行路(八千代台~宗吾参道間)と異なり,佐倉~東成田間の往復に変更された。

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4月1日には4日以降の新たな運転計画が発表された。4日以降,平日の施行ダイヤは平日ダイヤに戻されることが決定したが,その内容は新鎌ヶ谷~印旛日本医大間の一部列車運休を含む震災ダイヤ(災害臨時ダイヤ)として再編成されたものだった。

4月4日~・節電ダイヤNo.1

4月4日から施行された震災ダイヤは,No.115平日ダイヤをベースとしながら,夕方夜間の一部列車の運休が含まれていた。運休の内容は次のとおりであった。

運休

  • 平日25N(2)運行の一往復(第1624N~第1725N)運休

運転区間変更

  • 平日第1739N(印西牧の原行)を印旛日本医大まで延長
  • 平日第1551Tb・第1831N(両列車印西牧の原行)を新鎌ヶ谷行に変更(新鎌ヶ谷~印西牧の原間運休)
  • 平日第1740T・第1938N(両列車印西牧の原始発)を新鎌ヶ谷始発に変更(新鎌ヶ谷~印西牧の原間運休)

これらの変更による車両の流れは次の通り。

  • 第1624N列車で出庫する車両は第2030N列車で出庫
  • 第1551Tb列車は第1740T列車として折返し
  • 第1831N列車は第1938N列車として折返し
  • 第1739N列車は第1924N列車として折返し
  • 第841T列車で入庫した車両は第1850T列車として出庫
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△4月4日以降の震災ダイヤの変更点

南行の新鎌ヶ谷行は2010年7月改正まで定期列車で設定があったものの,北行の新鎌ヶ谷行の設定は震災ダイヤが初であった。また,新鎌ヶ谷のホーム増設によって3番線発の上り列車はなくなったが,約3年半ぶりに3番線からの上り列車が復活した。なお,2本の新鎌ヶ谷行はいずれも京急線内は高砂行として案内され,都営線内から先で新鎌ヶ谷行の案内がなされた。

また,第1938N列車の折返しの都合で第1811T列車(急行印旛日本医大行)は新鎌ヶ谷発着ホームを所定3番線から4番線に変更した。

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△新鎌ヶ谷南方の渡り線を営業列車で通ることが出来た


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 6月27日~・節電ダイヤNo.2(夏季節電ダイヤ)

4月から施行されてきた震災ダイヤは6月27日より制限を緩和したNo.2に移行した。No.2ダイヤでは,以下の点で緩和が図られた。

  • 第1739Nを印旛日本医大行から印西牧の原行に戻す
  • 第1624N~第1725Nの一往復を復活

つまり,第1725N(快速→急行印旛日本医大行)の復活により,その代わりとして印旛日本医大まで延長していた第1739Nを所定通り印西牧の原止とするという内容であった。これにより,平日25N(2)出庫車の第2030N代理出庫はなくなり,第1624N列車から所定通り充当されるようになった。第2030Nには第1739Nからそのまま車両を流す形となり,印西牧の原3番線で1時間程度の留置を行う方法がとられた。

なお,2本の新鎌ヶ谷止はそのまま継続した。

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△復活

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△復活その2


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△留置中の1739N→2030N

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△2030N留置中には北総車3並びも


節電対策が始まって以降,日中時間帯の客室蛍光灯の消灯が行われてきたが,これに連動して前照灯が消灯してしまうことから,電灯回路の変更工事が順次施工された。

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また,損傷した設備は順次復旧工事が行われ,2011年度中に概ね復旧を完了した。

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震災から半年にわたって続いたダイヤ変更は,2011年9月9日を以って終了した。これ以降は震災以前の通常ダイヤに復して運転され,設備の損傷も次第に復旧されていった。しかし,節電対応として日中の客室灯消灯や一部改札機・券売機の停止はその後3年あまり続けられ,震災前の日常が戻るには長い時間を要した。

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△9月12日より通常ダイヤに戻った

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△夏冬の電力需要の高まる時期に行われた改札機封鎖